そして天守台最上部。

右手、埋門の石垣の上から天守閣の地下部に入って行く構造。ここが天守台の石垣に切り欠きがある唯一の場所、すなわち唯一の入り口です。ちなみにこの反対側、中天守&小天守閣から天守台の下までも石垣が続いているのですが、こちらには石垣の切り欠きが無く、そこに入り口は無かったと筆者は判断しています。ただし先に紹介した服部 英雄さんの著作だとこちらにも天守台への入り口があったと述べられていますが、この点の根拠が示されて無いため、筆者はこれを取りません。とりあえず念のためそういう説もあり、として置きます。本来、天守閣の入り口を複数造るのはあまりやりませんから(守るのが大変になる)、それはちょっと考えにくいのです。



ちなみに地面の高さから直接入らない天守閣は珍しくありませぬ。

訪問時に工事中だったので判りやすい写真がありませんが、彦根城の天守閣にも半地下部に繋がる矢印のような櫓があり、これが出入り口になっています。ただし彦根城には天守閣地下に直接繋がる普通の玄関もあるんですが、かなり不自然な構造なので、個人的には後付けじゃないかなあ、と思ってます。繰り返しますが、防御構造として複数の入り口を造るのは望ましい事では無いので。

そして福岡城の場合、さらに徹底した構造で天守閣は最終決戦城砦になっております。この辺りを図にすると以下の通り。



天守閣に向かうにはその直下にある、狭い門が二つあるだけの、この狭い空間に入るしかありませぬ。恐らく門2号、埋門に木製の階段か梯子があり、そこから天守閣まで出入りする構造だったと思われます。すなわちそれを引き上げてしまえば、この狭い空間に入って来た敵は完全に行き場を失います。さらに言えば全く別の場所に繋がる両方の門が一気に突破される事は考えにくく、城の構造的に敵は1号門、鉄御門側から入って来ると考えていいでしょう。

ここは狭い上に急な階段があって、一度中に入ってしまうと出て行くのは困難です。この時、もう一つの出口である埋門は間違いなく閉ざされてますから、まさに逃げ場無しの袋のネズミ状態となります。後は上から矢やら鉄砲やらでメッタ撃ちにするだけで中の敵を確実に殲滅できます。負ける気がしねえ構造ですね。

ついでにこの辺り、朝鮮出兵であっちの城の構造を見て来た連中の意見が入ってるような気がしており、この点は長政の匂いがする構造です(朝鮮出兵時、長政は現地で豊臣軍の城の一つである山城、機張(きじゃん)城を造っている。ただし本人はこの城に入って無いらしい)。

さらに余談。
鉄(くろがね)門は、その名の通り鉄板貼りの門扉が二重にありました。でもって敵を閉じ込めるため、どちらかは楼上から開け閉めが出来た、あるいは落とし扉だったのでは無いか、と想像しています。この手の敵殲滅空間は中国の城砦にもあり、蘇州でそういった城門に落とし扉の構造が残っているのを見たことがあります。

ちなみに鉄御門はその鉄門を閉じ、敵軍が突破できぬ間に皆で最後に天守閣でパーっと切腹しようぜ、という目的で造られた、との伝承があるそうですがウソでしょう(笑)。切腹の時間稼ぎにそんな複雑な設備を造ったという話は聞いたことがありませんし何の意味も無いでしょうから。ついでに鉄御門には秘密があり、それは黒田家の家老以上の人間しか知らず、門に詰めていた兵がこの秘密を漏らしたら斬首、という伝承もあったとか。それだけの秘密が切腹のための時間稼ぎなら長政は底抜けの馬鹿、という事になりますが、決してそんな人物ではないでしょう。故におそらく前述のような構造があったんじゃないかなあ、その重みで崩れ落ちたんじゃないかなあ、と(石垣ごと門の構造が崩れ落ちたという話はあまり聞かないし)。



天守台に至る埋門上から下を見ます。かなりの高さにあるのが判るかと。下の幅広の道は、当然後世のもの。ちなみに画面右手に本丸に入る裏御門がありました。すなわち写真で見えている辺りは本丸の外です。



そこから西を見る。僅か向こうに見えている水面がかつてのお堀というか潟の一部として現存する大堀公園です。当然、ここからあの位置まで全部福岡城の敷地でした。かなり巨大なお城なのです。



その向北側に見えた邪神神殿のような半球状の建物は福岡ドームのようです。


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