その参道の途中にあった柱連柱(しめばしら)。あれ、ここが神社なのと思ったんですがどう見てもただの駐車場とゴミ捨て場。なんだこれと思ったんですが、帰宅後に調べて見たら、どうやら奥に小さな社があり、さらに志賀海神社のお祭りの時には神輿が入る聖域とされてるそうな。…いいのか、そこにゴミ捨て場造っちゃって。 とりあえずドンドン進みます、間違いなくあの山の上だろうなあ、と思いながら進みます。今日も山登りを避けれんかったかと思いながら、なんかいい雰囲気の街並みの中を進みます。 やはり奥の山の上が神社となっておりました。 ちなみに完全南向き。福岡の場合、水辺を向いて無いと意味が無い住吉神社だけは西側を向いてますが、あれは例外。でもってこの志賀海神社、太宰府天満宮は南向き。そして櫛田神社だけは東向き。個人的に東向きの神社は神道が始まる前の太陽信仰の名残じゃないかなあと思っており、これを蹴り倒して日本に南向きの神社を持ち込んだのが大陸系文化その1の出雲大社では無いか、と勝手に思っております(その2がこれを殲滅してから九州に天孫降臨した現大和王朝)。なので一帯の歴史はあの神社周辺から、それも渡来人ではなく、縄文期からの原倭人の定住から始まったのでは無いか、と思うんですが当然、確証は無し。 ちなみに、なぜか軍神の神社は諏訪大社(両方とも)とか鹿島神宮とか、歴史ある神社でも何考えてるのか判らん方向向いてるんですよ(香取神宮だけは南向き)。この辺りの理由は不明。 そして…登るのね、やっぱり。 でもって参道の入り口にこんなものが。清めの砂だそうで、これで手を清めてから参拝してね、との事。こんなの初めて見ました。何かいわれがあるんでしょうか。 ちなみに字がほとんど消えてしまってますが、御潮井(清め砂)と書かれてます。何でしょうね。 とにかくこの砂を、左、右、左と軽くふって、と書いてあるんですが正直、どうやればいいのか全く判らず。もしかしたら間違っていたかも。 |