まあ造るのが目的の施設だね、というのが正直な建物でした。とりあえず、そこにあった水城の断面図を載せて置きます。実際は左側、大宰府側にも10m幅の水堀があったようです。メチャクチャな規模の防壁であり、これ、一部をコンクリートで固めれば現代戦車戦でも使えるんじゃないのと思う。 その横にも展望台があり。すなわち土塁の一番上まで登れるようなので行って見ましょう。 あれが展望台ですかね。見ての通り、土塁はかなりの高さがあります。周囲の二階建ての建物は全て眼下にあり、という感じでしたから、ほぼ三階建ての建物以上の高さがあるかと。 そこから見た水城跡。右手が博多湾側、左手が大宰府側です。土塁の左右にみえる緑地一帯も水城の一部で、水堀などが在ったわけです。やはり凄まじい規模の構造物であり、豆腐の角に頭をぶつけて7世紀にタイムスリップ、突如攻めて来た火星人と戦う事になったら、ここに陣を構えますね、私なら。絶対に負けぬ。 そこから奥に繋がる道があり、ここから大野城跡に入れるのか、と思ったらあっさり行きどまりでした。まあ帰宅後に確認したらこの先は例の小学校だったのですが。といった感じで今回の本編はここまで。 |