ああ、あれは!あれこそは、水城跡に違いない。 ついにやって参りました。 というわけで、展望台、すなわち東側から見た水城跡。右が博多湾側で、こちら側に幅60m、深さ4m近い水堀がありました。恐らくこの堤を突破して流れる御笠川から取水していたと思われます。ただし最近の発掘では左手、大宰府側にもどうやら水堀があったとされます。ただしこちらは土手から60m程離れた位置、写真で見えている赤茶色の壁の集合住宅の辺りの位置に10mほどの幅の堀が在ったようです。とにかく水浸しであり、そう簡単には突破できんよ、という防衛線でしょう。 水城のどこを始点とするかで全長は変わって来るんですが、とりあえず住宅地の向こう側から一番奥に見えてる森までの距離、平野部を走る部分だけならざっと1.2qほどです。実際はその手前、写真左手の大野城に至るまでの尾根筋も防衛線になっているので、ここも含めると1.5q前後となります。先にも書いたように向こう側、西部先端の南もかつては丘陵地で、そこまでの平野部を遮断する形で走るのがこの水城跡なのです。個人的には画面奥の左手あたりにもう一つ城があったのではないか、と考えてるのは既に見た通り。 福岡市街方面を見る。低層都市なのでちょっと判りにくいですが、画面中央辺りが恐らく博多駅周辺から天神地区じゃないかなと。ちょうと飛行機が福岡空港に向かって高度を下げて行くのが見えてます。 いやしかし、こんな場所まで住宅だらけで驚く。福岡市、周辺地区もかなりの規模で市街化されてるのね。念のために帰宅後に確認したら福岡の南の大野城市が人口約10万、太宰府市が約7万人、その南の筑紫野市が約10万人、東の古賀市が約6万、そして福岡市が約165万人ですから、事実上の200万に都市となるんだと知る。なるほど大都会だ。 右側の四王寺山の麓ギリギリまで家が迫っており、ちょっと東京西部の多摩地区や横浜から三浦半島に至る首都圏山岳住宅地区を思い出す。 では撤退を開始。といってもこのまま水城跡側に降りれるので前方への強行撤退とします。しかしこの道、普通は見た段階で引き返しちゃうよね、これ。 |