都内だと自治体の運営するコミュニティーバスはマイクロバスに毛が生えた後に円形脱毛症になったような車両が多いのですが、これは本格的なバスでした。しかも料金は100円均一。ありがとう太宰府市と申し上げて置きます。 約20分ほどで目的地の観世音寺に。でもってその名の停留所で降りたんですが、それらしき建物が見当たらない。でもってよく見ればこの石碑、読めるもんなら読んでみな、という書体で観世音寺となってますな。ちなみに現地で見た時は篆書体かと思ったんですが、よく見れば全然違うな、これ。なんだこの文字。 とりあえずその道を奥まで進んでみる事に。 あ、これだ。由緒あるお寺と聞いていたいんですが山門は無し。その代わりかつてここに山門があったのよ、という標識が立っていました。 この観世音寺は九州を代表する古刹とされ、続日本紀によると天智天皇の建立とされるので、恐らく7世紀には既にこの地にあったと思われます。ただし例によって事実上廃寺となっていた時期があり、現在の建物等はほぼ全て江戸期のものでした。 写真は本堂で、江戸期の1688(元禄元)年に再建されたもの。ちなみに死してなおキンキラ金の家光の墓所、日光の大猷(たいゆう)院が完成したのが1653年、最後の徳川キンキラ金、根津神社が完成したのが1706年。すなわち、その間にこの建物は完成していた事になります。一時的に日本の建築文化は正気に戻っていたのか、それともキンキラ金は徳川家だけが好きだったのか、どっちでしょうね。 その横にあった金堂。こちらの方がやや古く、 1631(寛永8)年の再建らしいです。ただし境内にある主な建物はこれだけで、九州を代表する古刹、と聞いて来た身としはやや肩透かし感は否定できず…。 |