刀剣の展示もいくつか。私は詳しくないのでさっぱりですが。 ちなみに平安の昔から戦国期まで、日本の歩兵の主な武装は矛と槍であり、戦国期には槍兵こそが戦場の華だったのは疑いがありませぬ。じゃあなんで刀がこんだけ発展したのというと近接戦闘兵器だろうなあ、と思っています。槍は敵陣に突っ込んだ後、そこで暴れるには長すぎて邪魔なのです。全くの推測ですが、槍兵は敵陣に突入した後「槍捨て、抜刀」といった戦闘だったんじゃないかなあ、と。近代戦における連射式小銃とサブマシンガン、あるいは突撃銃の関係であり、それより先の格闘戦で出て来る拳銃が脇差という感じですね(脇差は褒美をもらう時の証拠となる敵の鼻、耳の切断用でもあると思うが)。 とか見てるうちに早くも半分以上見学が終了。ホントに狭いのです、この博物館。 遣唐使船の再現模型。最新の学説を取り入れた、と書かれてましたが、この手の資料は当時の絵くらいしか無く、近年になって新たにそういった絵が発見されたという話は聞きませぬ。最新の研究って何だろうと思う。何でもかんでも「最新の」と言えばいいと思ってない?それが個人の妄想では無いという保証はあるの?ちゃんと確認した? 江戸時代初期、慶長年間の1613年ごろに造られた火縄銃。徳川家に収められたものらしいですが、木製の銃床部を外した銃身のケツに金の象嵌による五芒星がありにけり(右側の金具は火皿でその上にピンで止められた可動式の蓋が火蓋。これを開けていつでも着火できるようにするのがいわゆる「火蓋を切る」)。ちなみに上面にも金象嵌の印がありますが、良く見えず。どうも三つ葉葵の紋のようでしたが… しかしなんで五芒星?しかもこれ線に上下位置がある立体構造だから安倍清明判じゃん。なんで鉄砲に清明判を入れるのかは全く判らず。少なくとも私は初めて見ました。ひょっとしてこれ、魔法銃? その先は九州らしい伊万里焼などの展示。これも私はさっぱりなので軽く流す。 |