展示品は重文などもあり、それなりに興味深いモノのの、正直、紹介するほどでは無し。ちなみに鎧兜は幕末に都を追放された攘夷派の五人の公卿、いわゆる五卿の面々が御礼に残していった記念品(長州に逃れたのは七人でいわゆる七卿落ちだが、すでに二人が亡くなっていた)。第一次長州征伐後、黒田藩預かりになるんですが、大宰府に置かれていたとは知りませんでした。となると、大宰府からの復活戦、失敗は平家のみ、足利尊氏と五卿は勝ち組になった事になります。意外に失地回復率高い?ちなみに鎧は典型的な江戸期に造られた良く判らん品、「江戸期に造られた鎌倉風の古典式鎧」で見るべきものはありませぬ。もらった天満宮も困惑したような気がします、これ。 **追記 掲示板にて奈良期の藤原広嗣、平安期の藤原純友も大宰府を拠点にしようとした、との指摘を受けました。両者とも敗北してますから、大宰府復活戦、結果は二勝四敗で負け越しになります。 でもって太宰府天満宮は境内にアーケード商店街がある、と現地で知って驚愕、当然、見学に。まだ10時前なのでほとんどのお店が開店前でしたが、ホントにありました。 名物である梅ヶ枝餅を売ってるオミヤゲ屋さんや食堂などで構成されており、全長40mほど。ちなみに右手の食堂の向こうは池で、これを見ながら食事がとれる構造になっています。ちょっと入って見たい気もしましたが、開店まで1時間近く待ちとなるので断念。 ちなみに池の側から見るとこんな感じです。池の名は菖蒲池で、夏至の時期ながらまだ少し花が咲いてました。 その先にあったのが例の「だざいふ遊園地」。テーマパークとかの横文字ではなくキチンと遊園地を名乗る辺りは好感が持てます。狭いな、と思ったんですが、帰宅後に確認したら、この先、かなり細長く敷地が続いてると知る。残念ながらここも開店時間前。まあ、今回は時間が無いので立ち寄る事は不可能でしたが。 でもって、その横にあったこの謎の構造物が九州国立博物館…と思ったんですが、これは入り口でした。…これだけの建物で単に「入り口」って何?といった感じで今回の本編はここまで。 |