今回は大宰府の中心的な観光地、大宰府天満宮を見てゆきまする。

大宰府に左遷された菅原道真は都に還れぬまま死去、この地に葬られ神社が建てられたとされますが、その死が西暦903年、神社の創建が919年なので数字が合いませぬ。道真のタタリは有名ですが、死後しばらくは何もなく、十年近く経ってから都で起きた事件をタタリに結びつけたのがいわゆる「祟り神」である道真伝説です(道真追放に変わった人達にこの頃から不幸が起き始めるのだが、そりゃ十年も経てばいろいろあるでしょう)。

ちなみに道真と雷さんを結びつける有名なお話、都の清涼殿に落雷があったのは西暦930年、道真が死んでから27年後の事で、これを道真の祟りに結びつけた当時の貴族皇族の皆さんの頭はどうなってたのだろうと個人的には思ってます。27年と言う時間は恨み事によるタタリとしては世界最長記録では無いかと思われますが、どうでしょう。事実なら道真公、復讐に時間かかり過ぎで、人類史上最長の一人時間差攻撃でしょう。この辺り、あまり手際が良いとは思えず、どうも実は大して仕事出来ない人だったのでは?

その道真公の死後、遺骸を牛に引かせて寺に運ぶ途中、牛さんが突然気分を害して全く動かなくなり、そのまま現場に埋めちゃったのがこの本殿の場所とされるようです(道真自身が遺骸は牛に引かせて止まった所に埋めろと遺言したというお話もあり)。

ただし現存する神社は戦国期に小早川隆景が本格的に再建、以後、江戸期に黒田家もいろいろ寄進して現在のような形になったと思われます。

今回は右下の表参道から90度ターンで本殿に向かい、そこから裏の梅林に抜けて(現在地の表示がある辺り)裏山を少し見た後、この看板で初めてこの地から行ける事を知った右上の九州の国立博物館に向かいます。

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