といった感じでそろそろ戻る時間となりました。撤収とします。

ちなみに船浮から白浜港に向かう船は二時間置きに一日5往復在ります。それでいて船浮には中学校まであり、高校は石垣島にまで行かないとありませぬ。船浮の住人は約40人というのが事実なら、この異常な状況はなんで、という疑問が当然出て来るわけです。…まあ、今は考えないで置きましょう。



集落に戻って来ました。奥に見えてるのはどうも集合住宅のようです。真珠の養殖場が近くにあり、その会社の人も船浮に住んでいるらしいので、そういった住宅でしょうかね。



集落内の道路。といっても先の港沿いの道と、それと並行して走るこの道くらいしかないのですが。

でもってポストと電柱、そして掲示板があるのだ、という事を知る。電気、どこから来てるんだ、海底ケーブル系の施設は見なかったぞ、と思って帰宅後確認すると、白浜港からではなく、沖にある内離島を経由した海底ケーブルで送電されてるとの事。



その先に公園もありました。



微妙に地味な記念碑が建っていました。最初に発見、とは書かれて無いのに注意(笑)。
どうもここで地元の人が飼っていた鶏を襲った西表ヤマネコが居て、それが見つかった挙句に捕まった場所、という事らしいです。…碑を立てるほどなのか、と思わなくもないですが…。ちなみに最初に西表ヤマネコが捕獲されたのは仲間川流域でした。

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