さて、今回のレンタカーはこちら。

前回の沖縄本島でもダイハツ車だったので、なんで沖縄のレンタカーはこんなにダイハツだらけなのと思う。ちなみにタントは中でも多い上に、同じ色の車が駐車場にある事態が何度か発生、ナンバープレートまで覚えてない我々お馬鹿さん二人組はキーのロック解除ボタンで自分の車を探しわまる羽目に。銀のタントは沖縄県だと5割引きとかの特典があるんでしょうか。

ちなみにこの車、あらゆるスイッチの場所が判りにくく、さらに後部ドアはなかなか開かない事が多いなど、ちょっとアレな車でございました。
いずれにせよ、伝統にのっとってシルバーアホー Type R(レンタカーのR)と命名。



そのシルバーアホー号を駆って最初に向かったのがここ、由布(ゆぶ)島。仲間港から車で20分前後でした。

奥に見えてるのが由布島で、かつては西表への入植者が多く住む島でした。すでに説明したように海辺は蚊が居ないので、マラリア対策でしょう。ただし1969(昭和44)年の台風で島の家屋のほとんどが水没、すでにマラリアの問題も解決していてた時期ですから、より利便性の良い西表本島にほとんどの住民は移住してしまいます。それでもわずかながら島に残った人たちがおり、現在の観光地としての由布島を作り上げたのだとか。ただし現地の案内だと残ったのは老夫婦が一組とされてますが、別の資料だと少なくとも三家族が残ったとなっています。そのあと、1981年に現在の観光植物園として開園したようです。ちなみに現在も無人島ではなく、この観光施設、由布島観光亜熱帯植物園の関係者と思われる方、十数名が定住してます。

西表本島とは満潮時に最大500m前後の海で隔てられていますが、それでも人間の腰くらいまでの水深しかなく、干潮時には干潟になって、ほぼ陸続きになります。そこを今ではすっかり有名になった水牛の牛車で渡って島に向かう、観光の島になっているわけです。ちなみに徒歩で渡ることも可能で、その場合、入場料は若干安くなる、との事でしたが、どうやってこの点を確認するのかは不明。行きも帰りも乗車時に入場券の確認はされませんでしたが…

当然ながら本来、水牛は西表にはおらず、昭和になってから入植者が台湾から持ち込んだもの。戦後はほとんどの家に水牛が居た、とされるのでもともと生活手段として使われていたのが観光化したのだと思われます。



駐車場からすぐの浜辺に水牛さんと牛車が待機してました。
現在は由布島に渡ってから入場券を買うシステムだそうで、ここでは順番に並んで乗車を待ちます。牛車と言えば平安京のベンツ、あるいはロールズ・ロイスです。このため下賤の身である私なんぞが乗って怒られないだろうか、と現地に着くまで心配でしたが、御覧のように実に庶民的な造りであり、待合場所にいるのも普通のおっちゃん、おばちゃんばかりで一安心。こう見てても私、従五位でしてよ、とか牛が言いだしそうな心配もなし。



何台か客待ち中だったのですが、団体さんが優先らしく、その人たちから乗車、出発となる。
おお、西表島と言えば、これだよこれ、と若干興奮しながら、何分くらい乗ってるの?と地雷映画男に聞くと「拙者も初めてでござる」との返答。ちょっと待て、君が西表は三度目だ、ベテランでござる、お任せあれって話はどうなったんだと聞くと、前の二回とも実は石垣島から日帰り行程でござった、と宣言する。以後、この男の助言は一切求めないことに決定。



ただし団体さんが乗ってしまうと客待ちの牛車がゼロになる。

あれれ、どうするのと島の方を見ると、ククク、待たせたなとばかりに続々と援軍が渡海中。私の脳内にワグナーの「ヴァルキューレの凱旋」が鳴り響く。おお、これを空撮でコッポラ風の望遠レンズで撮影してえええええ、と思う。晴れてたらもっとよかったのに。でもこれはこれでありか。島に電気を供給する電線がいい味出してます。ちなみにこの電線は琉球電力のCMにも登場してます。

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