再び外堀最上段からの眺め。次にニンジャに生まれ変わった日には、絶対ここに侵入して金のシャチホコを盗んでみたいと思わせるものがございます。ちなみに向こう側の石垣の排水口、現役なのかと驚いてよく見れば、近年に造られたと思しきものでした。何の必要があって、そしてなぜあの場所に、というのは謎です。 その先でもう一つの現存櫓、六番櫓に到達。 さっきが一番ですから、途中の二〜五は失われています。というか、これだけの距離に六つも櫓があったのかと思う。やはり部分的には江戸城を超える規模だったような気がするな、このお城。 そこから内堀まで一度戻る。 内堀の入り口は南北に各一か所と言うのは先にも書きましたが、北はいざとなったら落とせる橋なのに対し、南は恒常的な石垣の道になってます。そこに加えてこの空堀。 ウフフフ、君のハートで本丸を落城さ・せ・て、と言わんばかりの構造で、これだけの戦闘城砦でなんでこんな構造なのか理解に苦しみます。これ、お金が無かった幕末期に維持管理が大変で埋めちゃった、それが江戸期もずっと空堀説(ここまで入って見たことがある人はそもそも少数だろう)に繋がってる気がしますが… さて、では西側の外堀を渡って城砦の外に出ます。 この多聞櫓も現存構造物の一つで重文です。ただし一度火災で焼け、1848年、かなり幕末期になってから再建されたもの。というか、その時期の幕府にこれだけの櫓を再建するお金、よくあったな。櫓と言っても下は門になっており、ここから大手門を経由して外堀まで出れます。 ちなみに理由は不明なれど、この多聞櫓一帯は大阪城の中でも多くの構造物が残ってる地区になってます。 櫓の下門を通った先にある広場を通過、その先の小さな門から最終的に外に出る二重構造、いわゆる桝形の門でした。向こうに見えてるのが出口の大手門。ちなみに江戸城の場合、門(一の門)と櫓(二の門)をセットで大手門と呼んでますが、大阪城は門と櫓をキチンと区別し、両者をまとめる名称は無いみたい。 |