ちなみに天守閣のすぐ下には隠し廓があって、本丸横にこっそり兵を隠せるようになってました。敵がワーッと門を突破して突入した後に、ここから出ていって背後を撃つんだそうな。 そこの石垣のてっぺんには銃眼、いわゆる狭間用の三角の切り欠きがあります。三角なのは銃を左右に振るため。でもって石の上に柱用と思われる穴があり、本来は上に白壁があったと思われます。 となると、江戸城の大手門などで見られれる、白壁の土台部に穴が開いてる狭間と、ほぼ同じ設計だと思われます。 というわけで復元天守閣の下にやって来ました。復元と言っても戦前の建物、昭和6年、1931年建築の鉄筋コンクリート製。すなわち築90年であり、復元天守ながら国の登録有形文化財になってます。 ね、鉄筋コンクリートのビルってちゃんと手入れすれば百年は持つんですよ。なんで日本の不動産関係の皆さんは直ぐに壊して建て直しちゃうんでしょうね。 ちなみにその横に怪しげな通路があったので入ってみる。 で、途中に隧道跡のようなものがあり。一帯は第四師団の駐屯地だったのでその関係かなと思うも、看板には大阪市水道局とある。なんで、と思って帰宅後に調べて見たら、市内で一番高い、天守閣跡に明治28(1895)年に大阪市最初の上水道の給水設備、大手前配水池が造られたのだとか。ちなみに現在も稼働中だそうな。そんなものが城内にあったとは初めて知りました…。 なんか今回の旅は水道に縁があるなあ、と思う。 その先の行きどまりには寂れた神社が。石山若宮大明神だそうな。 ちなみに南無阿弥陀仏と掛かれた柱があり、令和の大阪城で明治以前の神仏混合ですかいな、と思うも詳細は全く分からず。どうも昭和6年の天守閣再建工事の時、安全祈願のため建立された、というのが定説のようですが… 大明神を名乗る以上、実在の人物を神格化したものだと思うんですけど、祭神は不明。若宮神社の一種かなと思いますが、石山って何、そしてなぜ大明神、という謎は残ります。 そこからの眺め。やはり高い。怖い。そして城攻めに負ける気がしない。左下に例の黄金船がチラッと見えてます。やはり、どうかなあ、と思いますねえ… |