間もなく急な階段が出現、これを降りれば貯水池です。左手の建物、何かの観光施設かと思ったんですが、関係者以外立ち入り禁止で、これまた神戸らしいオシャレな管理施設のようです。無人施設ですが電気関係の施設に見えたので、おそらくこのダムの放水などを管理する遠隔装置の小屋じゃないかなと思いまする。

ちなみに鳥居があるのは、この奥に小さな水天宮の祠があるから。



貯水池に出る。思ったよりは小さいのですが、明治期の神戸市内水道用のものですから、こんな規模で十分だったのかもしれません。白く土が見えてる部分が恐らく満水時の水位でしょう。ちなみにこの水は神戸港に立ち寄る船舶にも給水されていて、神戸六甲山系の水は旨い伝説のルーツとなりました。

建設当時の写真を見ると、この奥に数件の家屋が見えるので、建設時に古い集落が水没させられた可能性もありますが、確認できず。

余談ですが、江戸は幕府のお膝元、という事で江戸時代初期から上水道が整備されていたんですが、大阪はそのあたりほとんど整備されず、幕末に急遽都市化された神戸はもっと悲惨でした。興味のある人は調べて見てくださいませ。

ついでにここ、例のゴルフ場土石流の時に半分近くが埋まってしまい、水道水の取水も困難になったはずなんですが、この辺りの記録もネット上では見つけられず。やはりこの災害、いろいろ怪しいなあ。



岸辺から堰堤(えんてい=ダム)に渡るための管理橋。元はもっと長かったはずなのですが、恐らく例の水害の時に土砂で埋まってしまい、左の岸側が伸びて現在の形になったようです。

ダムの完成と同じく1900年(明治33年)に完成したものとされますが、どう見ても土台と橋脚部は新たに作り直されてます。2005年に大規模な耐震工事を行っているので、その時に補強と改修工事がなされたものでしょう。ちなみにこの橋桁の下は放水口で、池の水位が上がると、ここから横を流れる放水路に貯水池の水が排出され、堰堤を超えて溢れ出すのを防ぎます。



その湖岸に咲く桜。見事ですな。



管理橋の上から貯水池の横を流れる放水路を見る。普通の小川に見えますが、これは人工の水路です。

貯水池の上流にはこの放水路に水を流すための小さな堰堤があり、一定以上の水が貯水湖に流れ込もうとすると、そこでこちらの放水路に誘導されるようになってます。そこを超えるほどの水量が流れ込んだ場合、この橋の下の放水口、最後の安全弁から放水路に溢れ出すようになってるわけです。

この放水路には手前の山の下を貫通する隧道、トンネルが掘られており、貯水池を迂回するようにしてここに導かれてます。そして当然、この後はダムを避けながら流れ落ちるため、一部は人工の滝になってるようです。

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