ですが、ここの最大の驚きはこれ。 おおおおおおおおおおお、ほとんど史料が残ってない、初代の手宮海上桟橋の精密模型でございます。こんな構造だったのね。 かなりの高さがある船の貨物室扉(通常は甲板上に上向きに開く)に効率よく石炭を積みこむにはどうすればいいか、を考えた結果がこの桟橋でした。 すなわち船体よりずっと高い高架構造を造り、その上に機関車と貨物車を送り込む、そこから筒を通して船倉まで落とし込めばいいじゃん、という豪快なモノ。何が凄いって、これ、基盤部分以外はほぼ木造だったとされる点。メチャクチャ重い蒸気機関車と石炭を満載した貨車をここまで登らせる巨大構造物が木造、しかも腐食に厳しい海上ですぜ…。無論、防蝕加工はやってるでしょうが、それでもねえ…。 この石炭積み出し桟橋は1911(明治44)年に完成、1944(昭和19)年に解体されました。大戦末期に解体された理由は米軍機の空襲による破壊を避けるため、とされますが、詳細は不明。個人的には築30年を超えて老朽化が酷かったのではないか、と疑ってますが。ちなみに石炭積み出し桟橋は戦後にコンクリート製で再建されたのですが(ただしこちらも解体済み)、どうも場所が別のようです。 とりあえず真ん中に登り坂があるのが見て取れますね。列車はここ通って高架の最上階に出てから、桟橋の端で進行方向を反転させ(一種のスイッチバック)船の上まで向かいます。 全長で290m、高さは18mの巨大構造をよくまあ木造建築で造ったなあ。日本の木造建築としては東大寺の大仏殿より凄いと思いますよ、これ。 ちょっと見づらいかも知れませんが、桟橋の横にある筒部を通し、貨車から船倉へと石炭を流し込む構造になってます。最大6000トン級の船が横づけ可能だったようです。貨車を横に倒したのか、と思ったんですが、構造的に手作業で放り込んでいたようにも見えます。 *追記* 石炭を積んだ貨車の底にフタがあり、これを開けて流し込んでいたはず、とのご指摘をもらいました。 これ、現存してる姿を、一度は見てみたかったです。そして1980年代までの宮崎アクションアニメのノリで、ここで大活劇やってみたいのココロ。 といった感じで館内の主な展示は見たので、再度屋外へ。本館の裏口から出ると、先ほど上から見たさらなる列車の展示会場です。 国鉄時代のディーゼル特急のエース、キハ82。一度も乗ったことがないのですが、北海道のディーゼル特急はロマンですよね。 他にも電気機関車のED76とか蒸気機関車のC55とかがあったのですが、私は良く知らんので、パス(手抜き)。 他に客車類もいろいろあったのですが、これもよく判らんので、素通り。そしてやはりボロボロであり、ちょっと見ていて辛いです。 |