階段を登ってみると、ありました。ここまで木製なのね。



かなりの高さがあるのですが、展示車両のD-51は反対側を向いてる上に柱が邪魔でよく見えないのが残念。


では引き返しましょう。
しかしここまで徹底的に木造だと、あと30年もすると構造的にいろいろガタが来そうな気も。琵琶湖岸でも賤ケ岳周辺ほどの豪雪地帯ではないので、屋根の重量問題とかは大丈夫なんでしょうが、何で内部が巨大な空間である建物が木造なの、という疑問は感じなくもなく…



隣の建物、長浜鉄道文化館も覗いて置きましょう。

こちらはヨーロッパのターミナル駅を模し、屋根が木造のアーチ作りとなっています、との事。…私、ロンドンとパリの駅しか知りませんが、少なくともこんな天井のターミナル駅、見た事ないんですが…。どこのヨーロッパ?このやたらと突起がある形状も装飾なのか、構造力学的に必要な物なのか、よく判らず。そもそも何で長浜でヨーロッパ?



そこにあった琵琶湖岸の鉄道の発展図。右から左の順に見ます。
当初、琵琶湖南岸の大津から長浜まで鉄道は無く、その間を汽船で連絡していました。京都から東京に行くには長浜から船で琵琶湖横断しか無く、これが明治に入っても長浜が栄えていた理由です。ちなみにこの時代の国鉄 大津駅も現在の場所とは違う立地で、京阪電鉄のびわ湖大津駅の場所にありました。

そしてこの後、東海道本線が開通、京都と名古屋を結ぶ列車は米原を経由するようになったため、長浜の交通の要所としての地位は低下してしまうのです。

ついでに琵琶湖の東南岸の線が現在とは全然違うのも見て置いてください。全部埋めちゃったんですよ、これ。暴挙であろう、と個人的には思っております。

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