その一帯にも水路が。これは田んぼの用水路だと思いますが、かなり立派なのもので、やはり近江は水路の国だと思う。 さて、そこから約6q南西に移動すると、本日の最終訪問予定地、長浜の街中に入ります。もっとも、この後、さらに凄い事になってしまい、ここで終わりにならなかったのですが…とりあえず、市内中心部にある豊公園に車を止めて置きましょう。「豊」の字は豊臣から取ってるんでしょうね。 琵琶湖岸にあるこの公園は浅井家滅亡後、その領地を引き継いだ秀吉が新たな居城を築き、その本拠地とした場所です。 城は後の地震で崩壊、水没してしまうのですが(フロイスの日本史による。なぜか地元の案内では一切触れられて無いが)、完成当時は安土城、そして明智光秀の坂本城と並ぶ、琵琶湖岸の三大水城でした。 1573(天正元)年ごろの完成で、秀吉が後に織田家の中国方面討伐担当になった後も、その本拠地であったと思われます。本能寺の変の後、賤ケ岳の戦いでは 柴田に対する駆け引きに利用され、最終的には秀吉の前線本部が置かれました。その後も、大阪城完成まで、秀吉は頻繁に利用したようで、少なくとも完成から12年前後、秀吉はその活動拠点として活用し続けた城、と言っていいと思われます。秀吉は以後、聚楽第、伏見城と次々と居城を移しますが(実は大阪城にはほとんど入って無い。京都近辺に居続けた)、どちらも五年も住んでおらず(そもそも伏見城は地震で倒壊して建て直されてる)、最も長く利用したのは、この長浜城だった事になるでしょう。 現在は復元天守閣があり、博物館となってるのですが、訪問時にはコロナウィルスのせいで閉鎖中でした。ではどこに行こうか。城跡の公園は水没しなかった部分のみで往時のモノは事実上、何も残って無いので見るべきモノは少ないですし… と考えていたら、駐車場の横の歩道橋にこんな案内が。長浜鉄道スクエアという不思議なカタカナ施設と、慶雲館が向こうにあるみたい。事前に調べて無いので正体不明ですが、面白そうだから行って見ましょう。レンタカーの返却時間までまだ1時間半ほどありますし。 その途中、なんだか雰囲気のある街灯がありました。長浜もまた、歴史ある街だからでしょう。明治の中ごろから鉄道が琵琶湖の東西に完成し始めてその地位は一気に下落しますが、それまでは琵琶湖水運の東岸の拠点であり、とても賑やかな土地だったようです。 |