鉄砲を持てる展示。M-1ガーランド、三八式歩兵銃などを持ったことがありますが、それと比べても十分に重いです。これを抱えて姫路から京都まで速攻で進軍せよ、とか言われたら私なら泣きます。



江戸期と思われる国友村の地図。道が各所でクランク状に折れ曲がっており、これ戦闘前提で町を造ってない?と思う。



一階には国友出身の技術者の方々が造った品々の展示が。申し訳ないが、正直、そこまで興味深いものでは無いです。ようするに海外の技術をコピーしただけの話ですし。



ここにも大筒の展示が。ちなみに上が50匁玉、下が100匁玉とされますが、逆じゃないの、と思って正面に回ってみると…



口径は下の方が大きいのでした。いや下の大筒、これで発射の膨張圧に耐えたの?少量の火薬で撃ちだすイベント用?どちらも江戸後期のものなのですが…。ちなみに下にあるのはこれも100匁の玉。



といった感じに資料館の見学を終了、外に出て見ると、国友の街並みが思った以上に風情があるのに気が付いた。
後に近江一帯の街には水路が多い事に気が付くのですが、この街の場合、琵琶湖からは遠く、姉川の水を利用してると思われます。となると琵琶湖ゆえに近江は水の街なのでは無く、琵琶湖があろうが無かろうが水の街、という事になります。
おそらく古くから灌漑が進んでいたのだと思われ、この一帯は古くから豊かな穀倉地帯だったのだろうな、と思う。

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