階段の上に鉄砲の各部名称説明がありました。 銃口から火薬を銃身の底まで押し込み、次に球状の鉛玉を押し込みます。その状態で銃身の底まで繋がる火皿に導火線用の火薬を入れ、引き金を引いて火縄が落とし着火、発射となります。 日本の鉄砲では“銃底”が銃身の下部を覆う木製部品を指すのに注意。一般的な銃底は台かぶと呼ぶそうな。ちなみに銃口の下にあるカルカ(さく杖)は射撃後の筒内掃除と玉込めに使う収納式の杖ですが、これを銃身下に装備するのは江戸期以降、少なくとも大坂の陣ごろからで、戦国期には腰からぶら下げていたはず、と個人的には推測してます。ただし確証は無し。とりあえず極初期の鉄砲には間違いなく付いてませんでした。 ずらりと並ぶ鉄砲史料。まあ江戸期以降のものばかりなんですが、それでもちょっと圧倒されます。 徳川の紋所入りの御用札。江戸幕府に治めていたわけですが、戦争やってるわけでは無いので消耗もそれほど無かったはずで、どの程度の需要があったのかは謎です。 真ん中で台座に乗って居るのはいわゆる大筒で口径の実測値が27.4o(恐らく9寸で造ってる)、30匁(約112.5グラム)の玉を撃てたようです。ほぼ30oと考えると結構玉は軽く(ADEN30mmだとHE弾でも弾頭だけで200g以上ある)、当時の装薬の性能からしても威力は見た目ほどでは無いでしょう。台座は射撃用なのか運搬用なのか不明。構造からして射撃用に見えますが、詳細は謎です。 こちらは江戸中期の大筒で実測口径28o(9寸にしては誤差がデカい。実戦用では無く観賞用か)、これも30匁玉を撃ちます。 この時期になると装飾に凝り始めており、すでに戦争の道具では無くなりつつあるようです。 |