■小谷から横山まで さて、琵琶湖北岸の賤ケ岳と余呉湖一帯の見学は終了、次は約10km南東に位置する浅井家心臓部一帯に向かいます。 本来なら小谷城跡周辺も少し見ようかと思ってたんですが、時間切れで断念、今回は国友鉄砲資料館から姉川古戦場、そして秀吉の城主デビューの土地となった横山城跡を麓から見ます。 この一帯、南北約9qには、織田家を裏切って敵となった浅井家の戦いの跡が集中的に残って居ます。 浅井家の本拠地だった小谷城、それを攻め落とすため、織田家が置いた最終最前線基地の虎午前山城、その小谷城を巡る戦いの一環として発生した姉川の合戦の古戦場、今回訪問する織田家の一大鉄砲生産地、国友村、さらには秀吉が初めて城主となり、初期の浅井家との戦いで最前線となった横山城などなどです。 ■出典 国土地理院地図のツールにより作成 例によって国土地理院様の立体地図機能で一帯を見るとこんな感じです。 北の浅井家の本拠地、小谷城から秀吉の城、横山城まで直線距離で9qあり、1570年(元亀元年)初夏の浅井家の裏切りから天正元(1573)年夏の浅井家滅亡の戦いまで、約三年に渡りここで織田家と浅井家は睨み合い、戦い続けたのです。ちなみに細かく見て行くともっといろいろ有るんですが、それらを省いてもこれだけの戦国史を彩る場所が散在します。 まずは織田家の鉄砲の故郷、国友村から見てゆきましょう。 |