木漏れ日の中を下って行くリフト。イイ感じでございますな。



麓周辺も例の黒田の郷があったり、いい雰囲気の建物が多かったりで時間があれば歩いて見たかったのですが…はい、時間切れです。



とりあえずグルっと東側から余呉湖に向かいます。賤ケ岳の合戦と言われてますが、実際は余呉湖の湖畔周辺が決戦場なので見て置きたかったのです(その中に賤ケ岳が含まれる)。



国道8号、例の北陸(北国)街道を北上します。左側の斜面の上が賤ケ岳から連なる大岩山で、中川清秀と高山右近の陣地があり、最初の決戦場となりました。この辺りは次回、少し詳しく見ます。

御覧のように左右に山が迫った極めて狭い場所で、ここを抑えてしまえば北陸方面から琵琶湖岸へ抜ける事は出来ないのです。よって秀吉軍団はここを封鎖して柴田軍団を待ち受けたのでした。
現在は山の斜面を削った上で二車線道路とし、この右には余呉川が流れてますから、当時の街道はもっと狭かったと思われます。



この先はひたすら山地なのですが、余呉湖の周辺だけは僅かな平地が広がります。
おそらくこれが理由で古くから渡来人による入植が行われていた、と思われる一帯でもあります。

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