山頂への道を登り始めた直後に南に琵琶湖が見える。ハッとするような美しさ。あれ、ここひょっとして凄くない?



トンビと思われる猛禽もグルグル回っちゃう絶景なり。



その先では、涙が出るほど美しい琵琶湖が。ああ、自分はなんと汚れた人間だったのだろう、これからは真人間になろう、世のため人のために生きよう、おそらく山を降りたら忘れてるけど。下手すると帰りのリフトの途中で忘れるけど。

以下、余談。
手前に見えてる湾が木之本の飯浦港。その向こうの岬の画面右奥には古くから敦賀、北陸方面からの物資運搬のために開かれていた塩津港があります。見れば判るように、奥の塩津港からこの賤ケ岳まで湖岸沿いに来るのは困難で、北側の峠を通るしかありませぬ。でもって、そこは柴田軍が大挙して占拠していた一帯ですから、賤ケ岳の合戦に塩津が使われた可能性は無いでしょう。

ところが、手前に見えてる飯浦にも地元の人すら知らない港がかつてあり、明治期まで使われていました。現在見えてる防波堤は戦後のものですが、おそらくその港の跡地を利用してます。でもって実はここも木之本の一部で、すぐ横には古くからの集落があります。

何の記録も残ってませんが、秀吉、使ってると思うなあ、この港。「木之本に兵を送る」は秀吉の地元、長浜からここまで船で兵を送り込む、という意味もあったと思うんですよ。でなきゃあれだけの兵員輸送をあの時間では出来ないはず、という辺りの話はまた後で。

すなわちこの旅行記、脱線の匂いがプンプンしますね。エライことになりますね。



そこから山頂までは高度差で数十メートルだと思いますが、結構、急な登りになってます。



合戦で亡くなった人達を慰霊するための祠。
祠は近年に建てられたものですが、回りに置かれた石仏は山中に散在していた年代物を集めてるのだそうな。いかにも親切心でやりました、と書いてますが、いいのかそれ、という気が私はします。

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