というわけで山頂直下駅が見えてきます。
飛び降り禁止、とわざわざ書いてる、という事はやったやつが居るんだろうなあ…



山頂駅より。いやいい眺めだ。
ちなみに奥の方、山裾に広がる集落が木之本地区で、やはり思った以上に賤ケ岳からは離れてます。

それより手前の山裾にある集落に古くからの寺院などがあるため、おそらく秀吉はこちらに本陣を置いたと推測してるんですが、現地で確認したら土地の名がなんと「黒田」。

偶然かと思ってたんですがホントに秀吉の作戦参謀にして福岡城の産みの親、黒田官兵衛(如水、義孝)の黒田一族発祥の地なのでした。もはや宿命のカップルじゃねえか、秀吉と官兵衛。ただし官兵衛自身は新たな黒田家の本拠地、姫路の出身です。それでも賤ケ岳の段階では秀吉の下で仕事してますから、何かこの辺りの布陣に一枚咬んでいたような気がしなくもなく(当初はもっと北に陣を張ったのを後に木之本一帯まで後退させてる)。ただし何の記録も無いので、あくまで個人の推測ですけどね。



山頂駅。私が到着すると、トランシーバーで連絡、直後にスイッチが切られました(笑)。



山頂駅周辺。奥の道を進むと山頂のようです。



そこにあった看板。
大河ドラマは見たことも無いし、死ぬまで見る事も無いでしょうが、最近、取り上げられたのか、それにしてはお客さん少ないなと思って帰宅後に確認したら10年前、2011年の放送でした。こんな簡素な看板がよく10年も残ったな、この豪雪地帯で…
ちなみに写真の方の小谷城の場所、微妙に間違っております。それ、資料館の場所よ。

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