新幹線は関が原をトンネルで超えてしまうという反則技を使うので、古戦場を見る事はできませぬ。これにて滋賀県に突入です。 この辺りから北は琵琶湖畔でも豪雪地帯で、これが信長の琵琶湖進出の戦略にいろいろと影響を及ぼす事になりました。 ここでも良く見える伊吹山。なるほど中山道沿いにあって、これだけ目立つなら古代から信仰の山になるよね、と思う。 ちなみに山頂に信長が造った南蛮由来の日本初のハーブ園があった、という解説を現地で見ましたが、信長公記にもフロイスの日本史にもそんな話無いぞ。どっから出て来たんだ、この話。江戸期の適当なキリスト教徒実話本だけが元ネタでは?なんでも信長が最初にやったとしとけば、皆が納得するだろうとか思ってません? こちらから見る伊吹山は美しい山体の滋賀県の最高峰、なんですけどねえ…。ちなみに冬場の冠雪が早くから見られるので2000m級の山だろうと思ってたんですが、今回調べて見たら1377mと思った以上に低い山でした。 ちなみに無敵素敵のヤマトタケルさんが、白イノシシの山神にケンカ売ったら大雨降らされて体調崩したのがこの山。 標高の低い山と舐めてかかって突然の天候不順で遭難したわけで、登山に関しては素人だったわけです、タケルさん。これ、伊吹山だからまだドラマになりますが、大阪のポンポン山とかだったら神話としてどうよってな世界ですな。 でもってここで体調崩した結果死んだと説明される事が多いですが、この後、関が原を超えて岐阜、愛知経由で三重県に入り、鈴鹿サーキットの横で死んでますから、以後しばらくはまだまだ元気で、約1900年後のホンダエンジンの全盛を願って死んだと個人的には信じてます。 ついでに余談ですが、ヤマトタケルは東征に奥さん同伴で出かけて行って、これが東京湾で死去されると、以後、関東中に我妻(吾妻)という地名を残して帰って行きやがった迷惑な人、という印象が個人的にはありまする(おそらく東=あづまのダジャレだ)。 すでに米原市に入ってますが、その名の通りコメの原。これなら戦国期でも豊だったはずで、さらには京都への通り道なんですから、そりゃ信長もやってくるよね、と思う。 米原到着。ようやくこの鼻面の長い新幹線を見ても心臓が痛まなくなって来ました。でもカッコ悪いよね。 JR米原駅。この一帯では数少ない新幹線の停車駅なんですが、全体的にローカル線の駅、と言う感じです。おそらくここから北陸本線が分離するので新幹線の停車駅になったんだと思いますが、これなら彦根とか草津にも駅を造ってあげようよ、と思っちゃうんですがね…。 駅前も正直、かなり寂しい。恐らく郊外型の街で移動は自動車が普通なのでしょう。 ちなみに失礼ながら、米原市はかなり広い面積ながら大半が山地のため(伊吹山も米原市)、人口はわずかに3.8万人となっています。私の場合、地元千葉県以外で、これだけ人口の少ない市役所所在地駅に降りたのは初めてで、なるほど、と思う。何がなるほどなのかは本人にもよく判りませんが。 さらにちなみに滋賀県全体の人口も141万人で、これは琵琶湖の向こう側、京都市単体とほぼ同じ。首都圏だと川崎市とこれまたほぼ同じ人口が県を支えています。確認できた範囲では、県別人口25位前後を近年は維持してます。 ところが人口増加率だと1.1%の増加となっており、日本国内でも珍しい、百万都市が無いのに人口増加が続いてる県なのです(ちなみに国内で二県のみ、もう一つは沖縄)。それどころか全国でベスト5前後の位置をここ数年は維持しており、増加率では千葉県、大阪府、兵庫県等を上回っています。県庁所在地であり、京都の衛星都市と言っていい琵琶湖南岸の津を中心に、京阪方面のベッドタウンになってるようですが、不思議な土地ではありますね。 |