駅前のレンタカー屋さんで車を借りました。初日は田園地帯の中を40q以上移動するので、これは必須の選択だったのです。 とりあえず最安値プランだったのですが、軽ではなく1200ccの小型乗用車、日産ノートでした。山道には入らなかったので、これで十分ですね。そして夕撃旅団の伝統に乗っ取り、これをシルバーアホー号と命名、ただし何代目だか記憶がないので、とりあずシルバーアホーIIIとする。IIだと安っぽいし、IV(4)では判りにくいので。 ちなみに最近は職場で車を運転せず、コロナ騒動の関係で実家にも帰らずダメ人間兼コックとも出かけてないため、冷静に考えたら約一年ぶりの運転でした。が、まあ体が覚えてるもので、とくに違和感なく無事に走れました。 でもって関が原を超えるまでは快晴だったのに、琵琶湖岸に出て見ると、いきなり曇り。あれま、晴れ男なのに、これから最初の目的地である山の上、賤ケ岳山頂を目指すのに、と思う。 ちなみに当初は大垣駅で降りてレンタカーで賤ケ岳に向かい、秀吉の「美濃大返し」を再現、自動車による時間を計る予定でした。ところが大垣には新幹線が止まらぬと知り、米原出発に変更したのでした…。参考までに米原から賤ケ岳までは車で50分ほどでした。 ただし途中で姉川を超える辺りから再び晴れて来る。東から晴れて来るってどういった気象条件なのこの一帯、と思うも晴れてくれたなら文句は無いです、はい。ちなみにここから東に3qほど行くと鉄砲鍛冶の国友村、さらに3km先が姉川の古戦場です。どちらも後ほど訪問します。 そこから東側には信長を裏切った「最強の友」と書いてライバルと読ませる浅井長政の居城があった小谷山が見えてきます。 美人で有名だった妹、お市の方を政略結婚で送り込み、しかも俺たちマブダチというほど仲が良かったのにあっさり裏切られたわけで、そりゃ怒るよね、という気はします。ちなみにお市の方は後に柴田勝家と再婚しますが、今度は北ノ庄城(福井)で秀吉の軍勢に攻め込まれて落城、人生で二度の落城と、二度の一族全滅を体験する、という美人薄命を地で行く気の毒な方でした。ちなみに北ノ庄で自害してます。 平野部の端にある山地の上にあるのが判り、戦国期の戦闘城砦としては理想的な立地なのが見て取れます。ちなみに今走ってる旧北陸街道からは3q近く離れており、街道筋から外れてるのですが、これは織田家の柴田勝家がこの道を造った段階ではあの城は廃城になっていたので見捨てられたため。小谷道と呼ばれる旧街道はもっと東、あの山の麓を通ってました。鉄砲鍛冶の国友村が街道筋から外れた変な場所にあるのも同じ理由。 真ん中のやや高い山の山頂にその小谷城がありました。手前に見えてるアンテナの鉄塔が建ってる山は、その小谷城に対抗するため、織田家が砦を築いた事で知られる虎御前山。なるほど、小谷城を抑えるにはあそこしかないよな、と思う。淀君の爆誕の地でもあるわけで、いよいよ歴史の中に入ってゆくざます。 ちなみに現在走ってるのが国道8号で、長浜を出た後はほぼ柴田勝家が造ったかつての北陸(北国)街道の経路を辿ってます。 一帯は豊かな田園地帯で、戦国期からドル箱領地であったろうな、と思う。ついでに後でも述べますが、この一帯は浅井家が滅んだあとは、長年に渡り秀吉の領地でした(織田家の奉行としての統治なので全部完全に自分のモノ、というワケではないが)。 約40分ほど走ると、例の秀吉による美濃大返し地獄の大進撃ゴール地点、木之本へ到着。羽柴家の本陣があった場所で(秀長が居た)、てっきり賤ケ岳のすぐ横だと思ってたんですが、ここからも意外に距離があったのでした。それでももう間もなく最初の訪問地、狂気の山岳戦の賤ケ岳です…という所で、今回はここまで。 |