正面から見る。やっぱり門だよな、と思うんですが、本人が楼だと行ってるんだから楼なんでしょう。



ではもう少し奥まで行って見ましょうか。



大講堂に出ました。平家物語などによると延暦寺が僧兵を送り出して大暴れする時にこの前で集会を開いて評決を取ってから(合議)行動した、とされる場所ですね。まあロクでも無い場所です(笑)。ちなみに暴力は全てを解決する仏の使徒としての比叡山はどうも明治の廃仏毀釈後も残って居た、という話を聞いたことがあります。比叡山は明治期に正規の施設ではない「私学校」を境内に持っており、そこに街中のゴロツキを集めて、何かあると連中を街に送り出していた、と。ただしこれは知人から聞いただけの話なので、確証は無し(本人は神奈川出身で母親が京都出身)。でも延暦寺ならやってたような気がしますね、個人的には(笑)。

ちなみにこの建物は1634(寛永11)年の建築で重文ですが、本来は麓の坂本にあった東照宮の建物を移築したもの。なんで、というと1956年に放火で本来の大講堂は燃えてしまったから(同時に多数の建物が延焼、多くの仏像も失われている)。ちなみに金閣寺の放火が1950年、東京谷中の五重塔の放火が1957年と戦果を生き残った貴重な文化財が放火されまくったのが1950年代でした。何か集団心理的におかしくなっていたのか、別の理由があるのか判りませぬが、迷惑この上ない話ではありますね。



そこから少し先に国宝殿があり。その入場料も払ってますから、当然、そちらに向かいます。



ここでした。内部は撮影禁止なので写真は無し。ただし展示品は少なく、内容もショボい、というのが正直な所。

ちなみにここの名称にある「国宝」は文化財の法的分類ではなく、最澄の言葉から取ったものだそうな。人の心が宝なのだ、という事らしく、よって展示品の多くは国宝ではありませぬ。…本日二回目の入場料詐欺感。
 


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