正面から見れるだけでした。足場によって屋根まで見れるのはちょと興味深かったですが、これ、事実上イチから造り直しちゃっており、完全に別物でしょう。もはや国宝指定、外すべきでは。



私の見間違いでなければ、横木と縦木の組み合わせ部分に現在の西洋釘が盛大にぶち込まれてました。国宝だよ、本気か、おい…。

江戸の寛永期に鋼の価格が暴落して、気軽に釘が大量に使えるようなったという話は聞いたことが無いので、修復担当者の知恵か予算か、どちらかが決定的に足りないのが原因かと思いますが、正気ですか、皆さん。せめてステンレス製とか特殊な釘なんでしょうか。普通の釘なら屋根から腐って、またすぐに修復が必要になりますよ。そもそもこれだけ使ったら、重量的に従来の構造では無理が出て来るのでは?

とりあえず私の中で、延暦寺は彦根城天守閣以下の存在という位置付けとなりました。…トホホホ…何なのこれ。



とにかく心底ガッカリしたまま外に出ると、また盛大な階段が。ちなみにお山の上は既に紅葉が始まっておりました。



なんだか知らんが皆がその階段を登っているので、疲れ切った老体に鞭打ってこれまた重力と戦ってみる。



その上にあったのが文殊楼なる建物でした。位置と構造からして根本中堂の門かと思ったんですが独立した堂の一つらしいです。ついでに東を向いてるじゃん、とここで気が付いた。やはり比叡山一帯は本来、太陽信仰の土地だったような気がしますね。

これは根本中堂と同時に再建されたようですが、江戸期に一度焼失し、1668(寛文8)年に再建されています。ちなみに2016年になってから、唐突に重文に指定されました。なぜ今更、という感じですが理由は不明。



そこから根本中堂工事中を振り返る。そもそも登山に行った時を別にして、ここまで重力と戦い続けた旅は初めてですな。
 


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