ここから日吉大社に至るまでの参道が日吉馬場と呼ばれる地区で、桜の名所でもあるそうな。かなりいい雰囲気の一帯でした。 ちなみにこの一帯も信長に焼かれてるので、すくなくとも江戸期以降の再建なんですが、かなり高い石垣が続き、これは宗教施設というよりは戦闘施設だよなあ、と思う。横の水路もさり気なく堀になってるし、そもそも名前が馬場だし。…ここの人達、今でも隙あれば武力に訴えようと思ってない?と思う。そういった歴史の一帯ですからね。 でもまあ、いい雰囲気です。この一帯が現在のような形になったのは明治期以降だと思われるので、そこまで歴史がある風景では無いんですけども。 こういった感じにいい感じのお寺、比叡山の天台宗系のお寺が並んでるんですが、これ、入り口と門が直線になってないでしょ。明らかに戦闘要塞ですよね、これ(笑)。我々関東人は真首都は京都どすえ軍団と、この日吉大社一帯の勢力が手を結ばぬよう、警戒する必要があるのかもしれませぬ。 いろいろ面白そうな施設があったのですが、すでにお昼過ぎ、今日の夕刻には京都離脱の身としては先を急がねばなりませぬ。無念なり。 さて、その先でまた鳥居が。ここからが日吉大社の境内になるようです。これは表鳥居だそうですが、これまた山王鳥居ではないですな。ついでに明らかに東を向いてますから、これ太陽信仰じゃないの、と思ったんですが境内で90度曲がって拝殿はちゃんと南を向いてました。ただし個人的には焼き討ちの再建時に南に向けてない?という気もしなくもなく。 といった感じで、今回の本編はここまでです。 |