その奥に鐘があり、重要文化財との説明が。奈良時代に造られたとされる銅の鋳造による鐘でした。奈良時代の鐘って初めて見たと思ったんですが、三井寺の解説はそんな事を無視しておりました。曰く、比叡山に居た時代の弁慶が僧兵として三井寺に殴りこんで来た時にこれを奪って持ち去った、最後は山頂まで持ち上げるために引きずり上げた、という伝承があるそうな。ゆえに弁慶の鐘、または弁慶の引き摺り鐘だそうな。その後、何度読んでも意味が判らん解説と共に、最後は谷に捨てられた、という所で解説はお終いでした。…じゃあなんで今ここにあるのよ、という説明は一切無し。連載が突如打ち切られた20世紀の少年漫画のような解説でした。 ちなみに例の瀬田(勢多)の唐橋のムカデ退治伝説に登場した藤原秀郷が竜宮城で貰った鐘がこれだ、という言い伝えもあるそうな。ただし奈良時代の製造では全く時代が合いませんけどね。 でもってその手前にあった鋳鉄姓の大鍋。鎌倉時代のものと見られる弁慶の汁鍋と呼ばれてるそうな。上の鐘を持ち去った時に代りに弁慶がこれを置いて行ったという伝説があるそうですが、三井寺と比叡山はざっと8qの距離があり、しかもあちらは山の上です。伝説とは言え、弁慶、体力があり過ぎでは。 そこからさらに下る道がある。行って見ましょう。 そこですっとアオサギが前を横切りました。何度か書いてますが、ホントに2021〜22の間の旅行でサギに接近遭遇する確率が異常に高かったのです。…次に生まれ変わる時、お前はサギよ、という神様からのメッセージ? その奥に、なんだかデカい建物が見えます。これも檜皮(ヒワダ)葺きの屋根。秀吉時代末期に新築、移築を含めて一気に造られたお寺がこの三井寺なのですが、この時代の大型の建物には檜皮葺が多く、やはり安土城とかは一部を覗いて檜皮葺じゃないかあ、という気が。 |