橋の先にあったのはこの建物。案内を見ると一切経蔵という事で、すなわち書庫ですね。ちなみにこれも重文で、同時に移築の建物。1602(慶長7)年に毛利輝元からの寄進でわざわざ山口県から移築された建物。移築前、最初に建てられた時期は不明のようでが、恐らく室町期の建物じゃないかと思います。個人的に三井寺で一番カッコいいと思った建物。

ちなみに関ケ原後に毛利がここまでした、という事は恐らく徳川家、しかも家康が三井寺の再建に深く関わってる気がします。



このガンダムが積んでるミサイルランチャーのような構造物が一切経の収容庫。一切経は大蔵経と同じもので、その名の通り、仏典、全てのお経を集めた書庫です。江戸期までに日本にサンスクリット語の一切経は入って無いはずなので、この手のお寺にあるのは全て漢語訳、漢字だらけのいわゆる「お経」ですね。

ちなみに高麗版の大蔵経との事なので、室町から戦国期に李氏朝鮮から大量に入って来た木版印刷の経典でしょう(朝鮮王朝が日本からの朝貢外交の下貢品として多用した)。毛利なら海の向こうは朝鮮ですし。



この建物、メチャクチャカッコいいんですが、これ、書庫としては7割が無駄な空間だよね、とも思う。ついでに天井と外壁はほとん建て替えじゃん、と思われる位に木材がキレイなんですが、かなり丁寧に復元されており一安心。



中心に置かれてるこの経典入れが輪蔵と呼ばれるもの。恐らく回転するはずです。



といった感じで、今回の本編はここまで。

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