さて、今回から日本を代表する古刹の一つ、大津の三井寺に入ります。ちなみに三井寺は通称で、正式には園城(おんじょう)寺と言いまする。 古典文学で、京都方面の皆さんが単に「寺」と書いていたらこの三井寺の事である、ってなくらいな存在なのがこのお寺(ちなみに「山」と書いていたら比叡山延暦寺)。歴史はベラボーに古いんですが、9世紀に延暦寺での権力闘争から弾き出された円珍一派がここを天台宗の別院としてからが現在の三井寺の歴史の始まりでしょう。 ただし血の気の多い寺としては少林寺なんざ目じゃねえ、という延暦寺と対立して出来たお寺ですから、何度も連中との暴力闘争に巻き込まれています。どちらかというと戦力的に不利だった三井寺は最低でも7回焼き討ちに会い、そのたびに再建を繰り返しました。その後、織田時代に延暦寺と対立した織田信長側について安泰かと思われたら、後に豊臣秀吉時代にその怒りを買って(理由は未だに不明)廃寺に追い込まれ、その後、ようやく許されて再建されたのが、現在、我々が見れる三井寺です。このため、一部の建物を除くと、ほとんどが豊臣時代の末期から江戸初期のものとなっています。それでも重文と国宝だらけと言う凄いお寺なんですが。 とりあえず最初に、現地の案内図で今回の経路を確認しておきます。この地図、右が北なので注意。ついでにこの地図で何か所か見られる階段から判るようにかなり高低差があり、これまた重力との戦い的な参拝になって行きます。ただし今回の経路だと最初に一気に高度を稼いで、以後は下山、という形になりますが。 今回は左端の観音堂がある、境内でも最も高い位置にある一帯、いわゆる南院から入って山を下る形でここの金堂、すなわち本堂に向かってそのま離脱します。途中で結構見落としがある事に気がついてはいたのですが、時間が無い事もあり、主要部の見学だけで離脱としました。 ちなみにここは「院」と呼ばれるいくつかの地区に別れ、別院も含めると六区画ぐらいあるはずなんですが、実際に歩いて見た限りではその辺りはよく判らかなったので、今回の記事では無視します。 |