では安土駅前から北東に位置する城跡へと向かいまする。一帯は信長時代から続くと思われる集落があります。ただし安土城もその城下町も六年で歴史から消えてしまうので、往時の物は何も残って無いでしょうけども。



途中で見かけた下水のマンホールのフタは永楽通宝の貨幣柄でした。信長の旗印ですが、当時としては最先端の貨幣経済の象徴だったのかな、と想像してます。ついでにANZUCCIはフロイスら宣教師が使った表記。後にグレゴリオ13世の伝記にもそのままの表記で使わてるので、ラテン語表記だと思われます。



駅から少し離れると一帯は田んぼと畑が広がっています。看板の奥に見えてる左手の丘が安土城跡。銀色の軽自動車が走っている辺りから向う側は先に述べたように当時は水の底でした。



その南側を琵琶湖線が走っています。今では畑の中を走ってるように見えますが、鉄道の開通時にはあの辺りが水辺の限界だったと思われます。



せっかくなので信長謹製の下街道沿いに城に向かおう、と考えて集落内に戻る。
その途中でスーパーを見かけたので、立ち寄ってみました。いやでもこの看板は、関西でよく見る平和堂スーパーだよね、と思って帰宅後に確認したら、そのブランド展開の一つでした。というか、同じ看板で店名だけ違う、というややこしい展開をしてる理由がよく判らず。ついでに平和堂、彦根が発祥の地だと知る。近江商人の店だったのか。

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