一階に戻る。やはり広いですね。



手前の柱の上の構造に注目。釘を使わずに重力の力で密着させる木造建築の真髄だよな、と思う部分。やはりこの建物の修復は見事で、この人達が天守閣の修復をやってればなあ、とホントに思います。ちなみに重力を利用する、という点で人類はこの二世紀の間に極めて知能が低下した印象が個人的にはあり。

ついでに木造の構造でこれだけの空間を維持できる強度を確保してるんだから、当時の日本の巨大木造建築の技術はすげえな、と思う。構造重量と耐久性の計算とかやった上で設計してるとは思えないので、よくこんなモノが造れたな、と。



さて、そういったわけで三重櫓の見学者終了、その横からとなりの出曲輪に向かいます。
この一帯、クランクカーブの上に狭くなっているので虎口の跡だと思いますが、表側の天秤櫓や太鼓櫓に匹敵するような城門があったと思われる遺構が見当たりませぬ。古地図などで確認しても小さな門があっただけのようで、やはりこちら側からは入って来れない、という前提になってるように思います。



その先には先ほど三重櫓から見た堀切を渡るための橋が。天秤櫓のように複雑な構造ではなく、周囲に大規模な建物があったような形跡も無し。 手前に門はあったようですが、とにかく橋さえ落としてしまえば何とかなるだろ、的な簡素な造りでした。表門側の執念のような構造からは、かなり異なる印象です。

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