ここも櫓の中に入れます。人も少なくゆっくり見学できました。そしてやはりかなり広い建物でした。 窓から石垣の下を見る。石垣の底が北の堀切となっています。この辺りは表門側の天秤櫓とその横の堀切と同じ構造で、本丸&西の丸には直接入り込めないように区切られているのでした。当然、これを渡る橋が右手にあるのですが、ここからは見えず。 向こうにある曲輪(周囲から独立した区画)が出曲輪で、表門側で言えば鐘の丸の曲輪に相当する場所です。ただしこちらの曲輪はかなり小さく、やはり湖上から進入して来る敵は居ないだろう、といった前提で最低限の守りとなっているようです。ただしこの先、湖上に突き出した城内の先端部に山崎曲輪と呼ばれる、島のように独立した曲輪が置かれていましたから、全く防御が無いわけではありませぬ。 こちらの櫓は門を兼ねないので、狭(はざま)、鉄砲や矢を射るための穴が普通にありました。通常、三角のが鉄砲用、より広い四角いのが弓矢用です。 ついでに壁の上を見ると、ここも下部の方が厚く壁土が盛られていて分厚くなっているのが判ります。現地の解説にあるように防弾目的でしょう。土は銃弾を防ぐには最高の素材の一つですからね。さすが戦闘城砦彦根城。 壁が崩れないようにするための工夫か、狭にはプラスチックらしい素材と木による補強が入ってました。 こもやや木材がツルピカですが、幕末期の大工道具ならこの程度の加工は難しくないはずで、おそらく大きく補修の手は入って無いように見えます。ここまでガッカリ三連打だった彦根城の重文、国宝ですが、最後の最後でかなり興味深いモノに出会えた予感。 |