こちらが玄関口。以前は現在耐震工事中の多聞櫓から入ってたようですが、現状、ここが入り口になってます。そして少しでもあらぬ疑いを晴らすため、距離を置き、引率の先生の後からこっそり入る。 めちゃくちゃ防御力高そうな玄関でした。ただし周囲の材木は全て近代的なツルピカ表面で、ほとんど作り直されてる疑惑アリ。 下手にカメラを構えるとスカート履きの女子中学生を下から撮影してしまう事になり、速攻で刑務所送りなのでギリギリまで人が居なくなってから撮影。この階段とかも全面的に造り直されてますね。 いらぬ疑惑を避けるため、一度、二階で集団から外れ、しばし待機。床板、壁板、漆喰、どれも完全に造り直されてるなあ、と思いながら眺める。梁の柱などは往時の物に見えますが、天井をさえる支柱部は違いますね。 天守閣には鉄砲狭間がありました。ただし隠し狭間で、外部は漆喰で埋められてしまっており、戦闘時にこれを打ちぬいて使います。ただし明らかにこの壁は近代に造り直されており、ホントにこんな位置にこんな配置であったのか、は微妙ではあります。 ちなみにこの一帯の壁は西洋釘がマシンガンの一斉掃射を食らったかのようにバカスカ打ち込まれており、泣きたくなる。国宝だよ、この建物…。戦国末期の建物に西洋釘打つなよ…。正確な復元以前の問題として、ここからサビて腐る可能性、考えてる?ホントに誰だ、この一連の復元作業担当したヤツは…。 ついにで言ってしまうと、ローマ字表記はTeppou zamaの方がいいと思いますよ。何で漢字ごとに表記を切るの? |