天守閣の横から琵琶湖が見えました。御覧のように眺めがいい一等地で、ここはお城になる前はどうもお寺があったようです。 そこから琵琶湖側の天守閣周辺の石垣を見る。国家資格の二級ニンジャ認定試験会場にぴったりの難易度であろうと思う。 陸自のレンジャー部隊はニンジャ部隊に改変すべきだと思う。外人さんは名を聞いただけで逃げるぞ。 横から見る天守閣。この天守閣も移築なのは間違いなく、井伊家の記録では関ケ原前哨戦の決戦地、同じ琵琶湖岸にあった大津城から移築した、とされています。ただし元々は四層(五階)だったのを、三層に縮めちゃったそうな。彦根城は全体的に移築だらけであり、チャレンジ!お金を使わないで最強の城砦を造ろうコンテスト会場といった印象がありますね。 ついでに余談ながら、翌日、明智光秀の坂本城跡で会った案内ボランティアの方の話だと、光秀亡き後、浅野長政によって再建された坂本城は速攻で廃城となり、その建物の多くは大津城に移されたはず、よってあの国宝天守閣は元々坂本城のものだ、と主張されてました。確認の手段はありませんが、確かに可能性はゼロでは無いでしょう。 いずれにせよ、これも江戸期ではなく戦国末期の建物なのは確かで、そういった意味で貴重な城だなあ、と改めて思いました。 さて、では天守閣を見学だ、と思ったら学校の社会見学らしい集団と鉢合わせに。あれま、ちょっと時間をズラすか、と思って振り返ると、すぐに次の学校の集団が迫って来るのが見える。これはもう腹を括って一緒に並んで入城するしかないな、と覚悟を決める。 ちなみに待ってる間、延々と大音量の場内放送が掛かり続け、ウルサくて困る。ここはいつでもこんなにやかましいの?ここだけ昭和の観光地なの?と思う。 入り口は学生だらけ。そして大混雑の末に、私は女子中学生の集団に続いて入る事に。最初はボーっと順番を待っていたのですが、いや待てよ、この集団の後ろからカメラを握りしめた人相の悪い、いい歳したオッサンが興奮気味に付いて行ったら警察沙汰では?と気が付いた。しかし後ろは既に長蛇の列で逃げ場無し。よってそっと手持ちのカメラを一度バッグにしまう。…以後、写真がやや少ないのはそういった理由によるものです… |