江戸期の城門の上の櫓(やぐら)は長野の小諸城大手門に入ったことがありますが、全然別モノ、という広さでした。
ここが例の木橋に面する正面部分となります。ここはコの字型の建物で、コの字の縦棒が門のある正面側という構造になっています。



先にも触れた、ちょっと形状が異なる橋の上の窓付近。やはり全体的にキレイな仕上げの柱となっており、恐らく戦後の修復時に造り替えられたのだと思われます。何かの史料に基づいて変えたのか、適当にやっちゃったのかは判りませぬが。



その付近の窓の上を見ると壁に段差があり、下側が分厚くなっています。現地の解説によると撃たれまくる窓部周辺の防弾のためではないかとの事。



その奥にガラス張りの戸と赤地にキンキラ金の井桁紋の旗がありました。
前日夜のバットシグナルで確認したように井伊家の正式な家紋は橘ですが、それとは別に単純な意匠で簡単に識別できる目印として使う替紋(かえもん)を井伊家は持っており、それがこの井桁紋となります。ただし替紋が大名家に普及するのは江戸期からで、戦国時代にはあまり無かったものです。

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