とにかく内部は広く、恐らく武器庫も兼ねてたんじゃないかな、さすがは戦闘要塞彦根城、という建物でした。 ただし妙な部分も多く、まず下の堀切を突破しようとする敵を上からケチョンケチョンに叩きのめすための銃眼、狭間などが全くありません。門上の櫓に無いのは普通ですが、ここは構造上、下の堀切を突破しようとする敵を叩き潰す要塞となっており、攻撃のための小窓が全く無いのはどうも不自然です。同じように、石垣を登って来た敵に「ふふふ、もうすぐゴールと思った?ざんねーん」と石やら熱した油、さらには当サイトの品格を問われるようなモノまで投下する床下の穴、石落としもありません。この辺りは古写真で見ても、当時から無かったようです。 よってこの場で城を守り切れ、と言われたら、私なら馬鹿ぬかせ、と速攻で敵に寝返りますが…。もしかしたら銃眼は隠し狭間で、外からは漆喰を塗りこめて見えなくしてたいのを、後世の修復時に適当に取り除いてしまった、疑惑がありますが…。後で見るように、この彦根城の修復はかなりお粗末なので。 と言う感じに天秤櫓の見学は終了、ここからは文字通り、より高みを目指して前進します。 その先の坂の上に見えてるのが、天守閣に至る最後の砦、太鼓門櫓(たいこもんやぐら)。天秤櫓よりは小規模ですが、これも下に位置する堀切をケチョンケチョンに攻撃できる場所にあります。 そしてここも守りの櫓ですから、グルっと反対側に回り込まないと門がありませぬ。そして当然、あの奥の門にたどり着くまでに、ここも左右からボコボコに出来る構造になっています。 ちなみにこちらもまた、門上の窓周辺の構造は明治期に撮影された古写真とはかなり異なっており、完全に別物といっていい状態。これ、重要文化財なんですけどね。ただし往時に門前にあった鳥居のような構造物は恐らく老朽化に耐えられなくなった建物を支えるための支柱なので無くて正解。 でもって、写真右手にチラリと見えている赤い傘は喫茶室のもので、なんか風流でヤンス、とニンジャの血が騒ぐので立ち寄ってみる。 これがそのお茶屋さん。達筆過ぎて看板の名前が読めなかったのですが、帰宅後に確認したら聴鐘庵でした。そして言われて見れば横に鐘があるじゃん、と今、初めて気が付きました。もともとは例の鐘の丸にあったやつですかね。 |