寝室の横は御座之御間(ござのおんま)で、藩主の私室だそうな。ちなみにこちらも全方位開放、すなわち襲撃可能で、採光や夏場の通風の問題もあるんでしょうが、江戸期の日本は平和なんだよな、と思わせるものがあり。 これだけ襖があると、廻船問屋の越後屋と悪だくみ中、どこから暴れん坊将軍や水戸黄門が乗り込んでるか予測不能ですから不安で仕方ないのでは、と個人的には思うんですけどね。まあ襲撃する側も目的の部屋に到達するまで、襖を開けるたびに「神妙にいたせ!」と叫ぶ必要がありそうで、こっちはこっちで大変そうですが…。 全体的な雰囲気は京都の二条城、高野山の金剛峯寺、そしてウチの近所の岩崎邸の和室棟を連想させるものがありました。 どうも江戸期から明治期にかけての「お屋敷」というのには何か原型があったようですが、その正体は不明。恐らく今は亡き江戸城本丸じゃないかとは思いますが…。 ではこの階段を登ってさらに奥の棟に向かいます。ここはわざわざ上に持ち上げた廊下で、階段を上り下りして渡る必要がありにけり。わざわざ天井付きの橋を渡らせるのは、この奥は完全に藩主の私的空間であり、入って来るな、という警告を兼ねてるようですが、詳細は不明。宗教的な、神格化された君主が住む「向こう側に渡る」といった意味は無いと思いますが…。 ちなみにこの橋脚式の天井付き廊下の名前は高御廊下(たかおんろうか)。…なんでもかんでも「御」を付けたがるのは、個人的にはちょっとどうかと思うんですが。 なんだか独特な雰囲気に見えるのは赤じゅうたんの色が黒壁と天井に反射した結果。やはりやり過ぎじゃないですかね、これ…。 その廊下を渡った先は御客座敷で、藩主の私的空間である「奥向き」屋敷に招待したお客さんを接待した部屋だとか。 奥に見えてる次之間は御の字が付かない名前からしてお客さんの付き人、家来の控えの部屋でしょうかね。 |