ではバブル景気の中で再建された彦根城表御殿の再現建築を見てゆきます。

ただしさすがに全部の再建は無理であり、藩政の役所としての意味が強かった「表向」と呼ばれる一帯は除き、藩主の生活空間だった「奥向」と呼ばれる一帯を再現してます。ここは大きく二つの建物(写真の図の上側と下側)に分かれており、その間は屋根付きの橋で結ばれていました。

本丸御殿系の建物は川越城と高知城のものが現存してますが、どちらも未訪です。まあ、京都の二条城も事実上、本丸御殿の一種ですから、こうした建築を見るのが初めてというわけでも無いんですが。それでもちょっとわくわくしますね。ちなみにかつては名古屋城の本丸御殿が丸ごと残って居たのですが、何処かの馬鹿共が始めた戦争の結果、焼失してしまって現存しません。なんという事だと、常に思っております。



さて、彦根城の博物館本館から入って来ると、いきなり分かれ道となり二択を迫られます。
左に曲がると奥座敷棟、右に進むと御座之御間(ござのおんま)だとか。よく判りませぬが、ここでは奥座敷を後回しにして右に進むことに。

ちなみに赤じゅうたんは建物の保護用に敷いてあるんだと思いますが、井伊の赤ぞろえとはいっても、少々やり過ぎのような気が。もう少し落ち着いた色に…と思わなくもなく。



藩主の寝室がありました。
ちなみに全方向に襖があり、その気になれば曲者進入し放題。さらに個人的に気になったのは押入れが全く無い事。江戸期の長屋などに押入れは無いんですが、仮にも大名までもが万年床か、部屋の隅に布団畳んで置いといたのと思ったんですが



そのすぐ横に御納戸(おなんど)と呼ばれる物置用の部屋があり、ここに入れてたんですかね。となると事実上の押入れですが、そこまで畳敷きだったのでしょうか。ホントかな、とちょっと思っちゃうんですが。



その部屋にも窓があり。まともな照明器具が無いわけですから、こうしないと真っ暗闇なんでしょうね。

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