西側は当時の水面のごく一部が内湖として琵琶湖から切り離される形で残され、西の湖と言う名で呼ばれてます。ただし一部は元々、砂州であり、奥の方に見えてる緑地一帯などは当時から陸地のままだった可能性が高いです。 



と言う感じで天守閣の見学を終えて、安土清涼殿跡まで戻って来ました。この後は總見寺跡を経由して入り口まで戻る事になります。



先に通過したT字路に戻って来ました。
帰路と示された方向に進むのが順路ですが、反対の左側に進んでも、さっき通った大手通を経由して戻る事は可能です。



でもって總見寺の跡地は、隣の山頂なので、再度結構急な登りとなります…。今日一日で標高差で軽く200m近くは登坂しておりますね。登山で考えるなら準備運動レベルの高度ですが、城巡りのはずなんだよな、これ、と思う。



天守閣跡からはかなり西に移動するので、西の湖が間近に見えるように。

でもって水面中に突き出した半島に住宅街があるのを確認する。地形からするとかつての島で、干拓で陸地と繋がったように見えます。湖上のオシャレな住宅街はアメリカの西海岸でよく見ますが、あれは比較的乾燥してる土地だからオシャレで済むのであって、高温多湿の日本で、あのような場所に家を建てたら湿気と虫で地獄だろうに、と思うんですが、どうなんでしょうか。

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