その前田邸跡とされる場所の一番高いところから。向こう側が信長屋敷で、こっちが政務をとる建物だったんじゃないかなあ、と個人的には思いますけどね。 さて、では大手通に戻って、文字通りさらなる高みを目指しましょう。…目指すんだよね、自分の脚で。 …この大手道を見た瞬間、織田家の皆さんは死を覚悟したんじゃないかってなくらいの通勤経路だと思うんですが。まあ私は未訪問の岐阜城はさらに凄い山の上らしいので、こっちの方がまだマシだったのか。しかし寝坊して遅刻しそうになった時に走って登ったら死ぬぞ、これ、と思う。パンをくわえて走っても曲がり角が無いから美形の転校生とぶつかる事もできないぞ。 ちなみに正面の森の上が城の心臓部、天守閣のある一帯ですから、大手門から馬鹿正直一直線でその真下まで行けるのが見て取れるかと。途中、特に障害物は見当たらず、やはりこれ防御とかほとんど考えてないよね。 その先、例の古地図では徳川邸跡とされる場所に建っているのが現在の總見寺の本堂。屋根の上はソーラーパネルだらけでした。 信長の個人崇拝のための寺だった總見寺は、天守閣や本丸の隣の山頂に建てられてました。これは安土城が廃城になったあとも生き延びていたのですが、幕末の1854(安政元)年に火事でほとんどの建物を焼失、昭和になってから、こちらに新たな本堂を建てて再建されたようです。ちなみに前回も述べたように現在に至るまで、安土の城跡はここの所有地となっています。 ついでに通常は拝観できないので今回はこれだけでお終いですが、時々、週末に開放されることがあり、という話も。 そこから下を見る。階段下の建物が券売所で、あのちょっと先に大手門がありました。よって門を突破してしまえば、ホントに後は何もないのです。根本的に徳川の戦闘城砦とは設計思想が異なると思います。 |