近江と琵琶湖

正直な所を告白してしまうと、長い人生の半分以上において琵琶湖にも、これがある近江(おうみ)の国にも全く興味がありませんでした。

なので滋賀県と聞いても琵琶湖に沈んだ県で、日本で唯一、水中都市が県庁所在地だと思われる、程度の印象しか無かったのです。ちなみに実際の滋賀県は意外に大きく、琵琶湖は全体の1/6の面積に過ぎませぬ。さらに驚くべきことに、その県庁所在地は地上にありました。

その後、司馬遼太郎さんが近江が好きだ、と書いてるのを見てから多少興味が湧き、戦国期の歴史を調べると、どれもこれも琵琶湖畔が舞台になっている事に気が付いて、さらに興味が惹かれるようになったのです。というか、どれもこれも琵琶湖畔とちゃんと書けよ、地図を調べて初めて知る書籍ばかりだったぞチキショーメ、というのが、自分で当時の資料にキチンと当たって調べないとダメじゃん、と思った切っ掛けの一つでもありました。

さらに2018年にインドに行く時、琵琶湖北部上空を横切ったのですが、そこで受けた衝撃が今回の旅行の切っ掛けとなりました。一部の人は覚えてるかもしれませんが、この写真です。



柴田勝家率いる織田家譜代の残党VS羽柴秀吉率いる織田家外様軍団の決戦地となった賤ケ岳(しずがたけ)、なんとなく知識としては知ってたのですが、空から見て、あの人達こんなところで戦ったの、馬鹿なの?と驚愕したのでした。

南北を余呉湖と琵琶湖に挟まれた全く逃げ場のない山地であり、こんな戦場で万単位の軍団が衝突したってのは世界史的にもあまり例がないように思われます。異常な山岳決戦でしょう。まあ文字の歴史が残って無いだけで、南米の文明とかは山岳戦の嵐なんですが、あの連中、鉄砲は持って無いですからね。とりあえず、これに勝った秀吉はすげえな、という他ありませぬ。

ただし、その後もなかなか訪問の機会が無かったのですが、昨年からのコロナウィルス騒動によって海外旅行が不可能になった結果、時間と予算に余裕が出来たので、今回、ようやく訪問を決意したのです。そしてせっかく行くのだから、琵琶湖湖畔の歴史的な土地を一通り回ってしまおう、と思い立ったのでした。この点、別の個人的な理由もあったのですが、その辺りはいずれまた機会があれば。

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