原ノ町駅に到着。
常磐線が震災により南北に分断されたことは既に触れましたが、実はどちらにも属さない中間部分で独立して運行していた区間がありました。それがこの原ノ町駅から北の相馬駅までの区間で、その先の仙台側は津波で線路が流出して運行できず、南側は既に見た福島第一原子力発電所の事故で運行できずで、この区間だけ独立して運行していたのです。それが2011年の12月から2016年の12月まで続いてました(厳密には2016年7月に原ノ町駅の南にある小高駅までが先に運転再開したが、この段階では孤立状態は変わらず)。

震災時には複数の車両がこの区間にあり、これらはどこにも脱出できずに閉じ込められてしまいます。その中に特急「ひたち」の4両編成車両があり、長期間放置されて廃車のようになってしまったその写真を見た人も居られると思いますが、それが居たのがこの駅構内だったのです。



相馬駅に到着。ここまでが中間部で独立して運行していた区間となります。




その先で見えてきたのは新地火力発電所の煙突(左側)。ここは火力発電所なんですが、やはり津波で甚大な被害を受け、その後、一年近い復旧作業の後に運転再開に至ってます。



間もなく周辺の道路も、そして線路や橋脚も全て真新しいものになっている一帯に入ります。
福島第一原子力発電所の北側、浪江町から仙台南部にある仙台空港まで、約40kmの海岸線は海からそのまま平地が続く一帯であり、ここに10m級の津波が押し寄せたため、各所で2kmを超えた内陸部まで津波が到達する、という驚異的な事態が生じました。最大では仙台空港周辺のように5qも海岸線から離れた場所にまで波は到達しています。

中でも新地駅〜浜吉田駅の区間の被害は大きかったため、この一帯では道路も鉄道もより内陸部に移動して再建することになり、このような真新しい道路と線路が続く風景が出現したわけです。



新地駅の南を流れる砂子田川。

この一帯は川が多いためか津波が特に内陸部深くまで侵入しており、海岸線から2qを軽く超えて到達している場所が広く広がります。津波は川に入るとそのまま遡上するのです。

ちなみに宮城県内で大きな被害を出した北上川流域では4q以上遡上してからも多くの犠牲者を出し、その後、河口から32qも離れた場所で43pの水面上昇を伴う波が到達したのが観測されています(最終的に40kmを超える地点まで僅かながら水位の上昇を観測している)。
津波で怖いのは海岸線だけではなく、河川も十分な脅威となる、というのは今回の大きな教訓の一つでしょう。

NEXT