この辺りでようやく双葉町を超え、隣の浪江町に入ります。
余談ですが、池などの水にも当然、原発がまき散らしたセシウム137は降り注いでいます。セシウムは基本的に水中では沈殿するので周囲の大気中の放射線量に影響はないのですが、水中の生物には強い影響を与えます。さらに大雨や台風などで土壌の流出がある場合、周囲に深刻な影響を与える可能性が残るのです。このため池の水を抜いて底をさらう、という気の遠くなるような地道な除去作業が続いてるようで、原子炉事故がどれほどやっかいなモノなのかを痛感する部分です。



間もなく隣接する浪江町に入りました。ここも津波で大きな損害を受けた地区であり、さらに町の西側の大部分は原発事故以来ずっと帰宅困難地区に指定され続けたままの町でもあります。現状、帰宅困難地区指定された自治体の中で最大の面積を占めているのがこの浪江町なのです。



きれいに整備された神社を見かけ、なんともいえずホッとする。この一帯では以後も世紀を超えた戦いが続くことになると思うと、複雑な気分ではありますが。



小高駅に到着。南相馬市に入りました。

先に通過した浪江町、そしてこの南相馬市、そしてその北の相馬市にかけてが福島ではもっとも大きな津波の被害を受けた地区です。海岸線から2q以上津波が侵入した地区が複数あり、この小高でも海岸線から2.5q離れたこの駅前まで津波が到達し(日本地理学会の資料だと駅を超えてさらに進んだとされる。ちなみにそれでも駅舎は最後まで無事だった)、付近では多くの犠牲者を出しています。車内からでも海は見えず、ここまで津波が到達したとは信じがたいものすら感じます。このため、駅の東側、海側は今でも多くが原野のママでした。震災はまだ終わって無いのだと痛感する光景です。

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