こういった感じの光景も随所に見られましたが、10年近く放棄された場合、こんなレベルではすまない荒廃が進みますから、やはり一定の手入れはされてるようです。 倒壊した家屋もそのままです。ただし周囲の家は皆無事だったので、直接震災で倒壊したのではなく、損傷を受けたまま、その後の経年劣化で倒壊したようにも見えました。もちろん、詳細は判りませんけども。 ここも最後に開通した駅の一つ、双葉駅に到着。 ただし双葉町も未だにほぼ全域が帰宅困難地区の指定が成されたままです。よって、ここも駅周辺だけが立ち入り許可区域で、それ以外の移動は一切できません。ただしここから東に向かい、国道6号を超えた先に、指定が完全解除された地区があり、そこまでの道路だけは通れるようになっています。 おそらくそのための駅の再開だと思うのですが、その間の放射線量を考えると、やはりちょっと疑問を感じる部分は残ります。 一部の道路は通行が許可されているようで、駅の先で踏切が復活しており、数台の車が待っているのが見えました。 それでも双葉町を抜けるまではほぼこういった風景が続きます。奥の家とかは樹木と竹林に飲み込まれ、その横の信号も消えてました。これらは東日本大震災の災害というよりは東京電力上層部による人災の結果と言っていいものですから、忘れてはならない光景でしょう。 |