大野駅に到着。
事故のあった福島第一原子力発電所までは約3.5qほどで、すなわちここが最寄り駅となります。先に触れた「夜の森駅」とこの「大野駅」、そして次の「双葉駅」が最後まで復旧せずに残されたのも判るでしょう。

ホームなどは新たに作り直されてるように見え、おそらく奥に見えてる草地が旧ホームじゃないかと思います。駅を立ち入り域禁止区域の指定から外せるようにまでなったのは良かったと思いますが、内閣府の原子力被災者生活支援チームが2019年11月と12月に大野駅東側周辺の大気中放射線量を計測した報告書を見ると、どうも微妙な部分が感じられるのも事実です。

報告書によると写真で見えてる駅東口前の空間放射線量は最大2.29、最小0.62の平均1.49マイクロシーベルト(μSV)(時間単位の表記が一切無いのだが常識的に考えて毎時=μSV/h だと判断する。ちなみに数値は時間平均ではなく、駅前150m前後の空間内各所の平均)。

シーベルト/時(μSV/h)単位の空間放射線量の判断はいろいろ難しいのですが(そもそもダメージ量という妙な概念だし現状だと地上高による影響が大きい)、それでも最大2.29、平均1.49は厳しい数字だと思われ、私なら12時間を超える滞在は避けたいと判断する量です。東京、新宿周辺の2020年11月の大気中平均線量は2ケタ低い0.035μSV/h 前後(これは原発事故前のレベルにほぼ回復した事を意味する。2011年には0.06前後あった)、政府が放射能の除去目標としてる数値でも一ケタ低い0.23μSV/h以下なのですから。
この状況で駅を再開する意味があったのかと言えば、個人的にはまだちょっと早かったように見えます。

そもそも廃炉の技術的なメドすら完全に立っていない破損した原子炉からこれだけ近距離に人を入れていいものか、という問題もありますから、どうもなんだかな、という部分は残るのです(原子炉から放射線が漏れても、この距離なら問題ないが、再度事故が起こった場合、大気中にバラまかれる放射性物質を大量摂取する危険性がある。原発から直接出る放射線の飛距離は短いから問題ないが、放射線を出し続ける放射性物質が間近にまで飛んで来るなら話は別だ)。

余談ですが、常磐線よりずっと原子力発電所に近い場所を通る国道6号は先に全線開通していたのですが、こちらは同じ原子力被災者生活支援チームの2019年11月の観測で最大6.17μSV/h と車外に長時間出るのは避けるべきだろう、という数字を叩きだしています(地上の残留放射性物質、主にセシウム137の問題なので通過するだけなら車体の鋼板を貫いて車内の人間に到達する事はほぼないだろう。ただしタイヤや車体に付着したセシウム137が自宅にまで持ち込まれる危険性は常にある)。

やはりいろいろと時期尚早じゃないかなあ、という印象は拭えませんが、私は専門家では無いので断言は避けます。



駅の先では恐らく汚染土の除去作業と思われる土木作業が続いてました。当然、この一帯は一般人は立ち入り禁止です。

やっかいな事に時間経過によって自然解決しないのが放射性物質による土壌汚染で、原子炉からまき散らかされた放射性物質が土中に残ってる限り一定量の放射線が大気中にまき散らかされるため、その地域に安全に立ち入ることはできません。

原子炉の破損で広範囲に吹き飛ぶ放射性物質は三つあり、強い比放射能を持つヨウ素131(半減期約8日)、やや強い比放射能を持つセシウム134(半減期約2年)、そして比放射能はやや弱めながら長期にわたり崩壊しないセシウム137(半減期約30年)となります(同じセシウムでも同位体元素の134と137では放射性物質としては全く異なるのに注意)。
半減期というのは、確率的に放射線物質の原子の半分が放射線を出さなくなるまでの時間。この時間が立てば放射線を出す原子は半分に減る(崩壊して別の原子となる)と単純に考えていいものです。

ヨウ素131は強い放射線を出すものの、半減期も極めて短く二か月も経てばほぼ消え去るため長期の汚染物質としては無視でき、やや強い放射線を出すセシウム134も半減期は約2年なので10年経てば残りは3%前後にまで減ります(時間が経てば弱まるのではないのに注意。数が減るだけで残った原子は崩壊するまで全力で放射線を出し続ける)。問題は半減期が約30年にもなるセシウム137で、これは100年以上の時間をかけないと影響を無視できるまでに減りません。すなわち今後も世紀を超えてこれがまき散らかされた土地に影響を与え続けます。

ちなみに速攻で消えるヨウ素131(半減期約8日)を無視した単純計算だと、セシウム134の半減期が2年しかないおかげで、最初の5年で汚染土の放射線量はほぼ半減し、10年経ては1/3前後にまで減少します。ただし、ここからは半減期約30年のセシウム137が主要因となるため減少率はガタ落ちになり、以後は100年単位の世紀を超える戦いになって行きます。
上で見たような放射線量の数字は事故から8年以上たった以上、セシウム137が主要因と見られ、そうなると表土の完全削除、あるいはアスファルトの洗浄などで放射性物質を除去しない限り、その放射線量の減少はほとんど期待できないのです。

これが2011年の福島第一原子力発電所で日本の国土が背負うことになった負の遺産であり、そこに未だに極めて危険な状態にある原子炉の廃炉という問題が、これも数十年の単位で我々の上に圧し掛かって来るわけです。その国で私たちは生きてゆかねばなりませぬ。



福島第一原子力発電所周辺は未だに立ち入り禁止区域ですから、道路を走ってるのは汚染土を搭載したと思われるダンプカーなどのみになります。

ちなみに日本最初の原子力発電所である茨城県の東海発電所の営業運転開始が1966年7月ですから、福島第一原子力発電所の事故の45年前。2020年現在でも帰宅困難地区、要するに放射性物質の残留が多くて危険な地域は約300㎢残っていますから、ほぼ名古屋市に匹敵する土地に人が住めなくなっています。わずか45年の利便性の引き換えの犠牲としては小さいとは言えないでしょう。

福島第一原子力発電所の事故は直接の原因は地震による津波でした。が、最終的には危険性を指摘する声を無視し、さらに都合の悪いことを全て無視した東京電力上層部による人災だったと断言していいものです。この点は国会事故調の報告書でも強く指摘されており、実際、その通りだったと考えていいでしょう。あの場所に建設された段階で、津波が来ればいつか必ずこうなった、という事故だったのです。

もしキチンと安全性を計算した上で設計と建設が行われていたら、この事故は避けれたものであり、原子力発電所そのものが無条件に危険という訳ではありません。が、逆に言えばそれを扱う連中がボンクラだとこのような悲劇的な事故がいつでも起こりうる事を福島第一原子力発電所の事故は証明してしまいました。人類が扱える技術としては、もっとも高度で、もっとも危険なものですから、極端に危険視する事も、安易に信用することも、どちらも避けるべきでしょう。その取扱いは極めて困難なシロモノです。当然、そんな危険な施設は無い方がいいに決まってますが、現状、有効な代替案が無いのもまた事実なのです。

余談ですが、福島第一原子力発電所の事故時、ある日本国首相が現場に入りました。
事故対策で全く人員の余裕が無い現場に専門家でも何でもない高位の人物が乗り込んでも何の役にもにたちません。というか、国の安全がかかった一分一秒を争う現場に素人が紛れ込んで邪魔をする事で、取り返しのつかない事態を引き起こす危険性を持ち込むことになるのです。あの時ほど、この地上にこんな馬鹿が居て、それが日本の首相をやってるという事に衝撃を受けたことはありませんでした。この件は、うぬぼれの強い馬鹿を政治家にしてはいけない、という最高の教訓だったと思います。



そこからも帰宅困難地区、要するに立ち入り禁止地区の走行が続きます。
車窓から見る限り、常磐線沿線はほとんど原野化が進んでおらず、やはり定期的に草刈りなどの手入れが行われてるように見えます。ただし三件並んだ家の屋根のように、震災で受けた家屋の損傷は手つかずのままになっていましたが。



住宅街に入る。家は庭の緑に飲み込まれつつあるのですが、道路などはきれいなのです。

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