駅を出るとすぐ見える井出川。
震災時にはこの河でも津波による遡上が置き、河口から1q近く内陸まで到達しました。この一帯から北の海岸では場所によって津波の高さが20mを超えてるのですが、幸い、井出川周辺はは10m以下の波だけで、この常磐線が走る地区までは到達しませんでした。避難指示の完全解除から5年、周囲の家も遠目に見る限り人が戻ってるようですが、断言は避けます。



駅の向こう側、鉄塔が連なる先に第二原子力発電所があります。左手の山の影の辺りですが、ここからは見えないようです。



その先では大規模な土木工事が行われてました。小川の護岸工事のようにも見えますが、土壌の入れ替え工事なのかもしれません。



そこから南を振り返ると、第二原子力発電所の煙突がかろうじて見えました。あの奥に1号から4号までの原子炉があります。

津波襲来後、1号機と2号機は3台ある全非常用電源を完全に喪失、3号機は1台、4号機は2台、それぞれ非常用電源を失ないました。それでも外部電源は1回線だけとなりながら、全基で最後まで生きており、この電源の生存が第一原子力発電所との決定的な差となりました。これにより最後まで原子炉の制御を完全喪失せず、最悪の事態を避けれたからです。発電所が電気で苦しむ、というのはなんとも皮肉な話ですが…

最終的にもっとも損害が軽微だった3号機が震災翌日、12日の午後12:15分に完全停止(冷温停止状態に至る)に成功、その後は綱渡りのような炉の冷却と停止作業が続き、ようやく震災から3日目の14日至り、17時に1号炉を完全停止、2号炉も直後の18時に完全停止、最後に残った4号炉も翌15日の朝7:15分に完全停止に成功します(ちなみに冷温停止といっても燃料棒は100度近い温度があるはずで以後も冷却は必要。この燃料棒の発熱が原発のやっかいな所の一つ)。

この間、第一原子力発電所の方ではすでに炉心溶解と放射能漏れが始まっていたため、日本中の注目がそちらに集まり、結果的に第二原子力発電所はほとんど注目されずに終わっています。
が、後に関係者が「炉心融解まで紙一重だった」と証言しており、こちらはこちらで極めて危険な状況だったのです。

ちなみに東京電力の資料によると、第二原子力発電所は炉心損傷を引き込こした第一原子力発電所に比べやや高台(海抜12m)にあった事、津波の高さがやや低かったことが幸いした、とされてます。
が、日本地理学会が公表してる津波の被害地図を見る限り、両者の津波の高さは第一原子力発電所で13〜15m、第二原子力発電所で11m〜18mであり、最大の大きさではむしろ原子炉の損失を逃れた第二原子力発電所の方が高く、凡その平均値でもわずかに第二原子力発電所の方が高いのです。その損害の差が生じた要因は、ほぼ単純に施設が建設された海抜に由来すると見るべきでしょう。この辺り、東電の主張する津波の高さのデータの出所が気になるところではあります。そしてなぜそんな情報を採用したのかも。

とりあえず致命的な損傷は避けれたこの第二原子力発電所ですが、事故から8年以上経った2019年7月に正式な廃炉が決定してます。この辺り、8年も東電は何やってたんだろう、という感じがします。これほどの悲惨な状況に見舞われた地元の感情を考えれば、他に道は無いでしょうに。



津波は発電所周辺にも押し寄せており、第二原子力発電所の北部は今でも荒野の状態でした。この一帯は津波で多くの家屋が失われた土地の一つで、かつては家屋や田畑があった一帯ながら、2020年10月現在も何もない荒涼とした光景が広がっています。

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