塀は二重になっており門をくぐった先に本殿とそれを囲む、最後の塀があります。

ついにでこの左手に資料館もあったのですが、内部は撮影禁止のため写真は無し。



復元建築とは言ってもかなり豪勢でちょっと驚く。どうも1979年に再建された後、2001年に再度手が加えられて現在の姿になったようです。



日光東照宮と同世代だなあ、という装飾。というか、恐らくそれを参考に再現した、という面もあるのでしょうが。

この後、江戸期の支配者層の皆さんはドンドン貧乏になってしまうので、こういったものが見られるのは家光時代くらいまでとなっています。三代将軍が造った上野の東照宮は同様に派手ですが、五代将軍、綱吉の時に造られた根津神社とかになると、この半分以下の装飾ですからね。



全体に黒を基調にしてるのは、幕府の東照宮建築(家康を祭った一連の神社)を踏襲したのだと思いますが、詳細は不明。
東照宮を含め、個人的には中国の儒教建築の影響が強く感じられるんですが、確証は無し(中国の孔子廟が朱色になるのは清代以降だと思ってるのだが、なにせ共産中国が皆破壊してしまったので証拠が無い)。



その先にあった弔魂碑。日露戦争か日中戦争、あるいは第二次大戦かと思ったらなんと戊辰戦争の時のものでした。
仙台藩は会津と並んで政府軍に真っ向から立ち向かった藩でしたが残念ながら惨敗、以後、会津と同じく多くの人材が北海道開拓に追い込まれる事になっています。

ちなみに本来士族の街だった一番町が、現在、仙台を代表する繁華街になったのは、この敗戦で没落した士族たちが屋敷を利用して商売を始めたから、という説があるようです。

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