さて、仙台に戻る電車を待っていると、反対側のホームに下り電車が入線してくるのが見えました。 …んんんん?この電車… 石ノ森章太郎さん電車でした。全車両がこんな感じ。なるほど、出身地だと思う。 …個人的には大友克洋さん列車が見たいですな…と思って何気なく確認したら、大友克洋さんと佐藤史生(さとうしお)さんが同じ高校の出身と知る(宮城県立佐沼高校)。すげえな、この一帯。佐藤さんの「ワン・ゼロ」は時代の30年先を行ってた漫画でございました。 最後、迷走しちゃうんだけど、宗教と信仰とコンピュータ、そしてデジタルネットワークとの融合というテーマを取り上げた作品で、インターネットどころか、Windows95の10年以上前、ようやくファミコンが登場したばかりの時期に、これだけの虚構が造られていた事に未だに驚きます。これに比べればニューロマンサーなんてただの冗談みたいな話ですよ。意外に多くの作品に影響を与えてますから(人間の信仰の力で魔物が強くなるといった設定の元祖である)、未読の人は一度読んで見る事をお勧めします。 余談ですが、1982年から1984年というのは日本の漫画史上、凄まじい2年間でした。 特に1982年は、宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」を皮切りに(1982年1月発売号から連載)、大友克洋さんの「AKIRA」(年末発売号から連載開始。第一回のヤンマガの表紙は今になっては誰これ、という人物の絵が入っていた)、高野文子さんの「絶対安全剃刀」と日本の漫画史に残る作品が次々と登場してきた、凄い年だったりします。個人的に日本の漫画最強の年と呼んでおります。 そして1983年には大友克洋さんの「童夢」の単行本が発売になってそれまでの漫画を一気に旧世代化してしまい、1984年には佐藤史生さんの「ワン・ゼロ」と、鳥山明さんの「ドラゴンボール」が登場してきます。ちなみに「AKIRA」の1巻発売も1984年です。 ついにで1984年は映画版「風の谷のナウシカ」の公開があり、前年の1983年にはダイコンフィルムのDAICON4(庵野秀明さん、貞本義行さん、前田真宏さんなどが参加)が公開されています。 この時期に登場してきた作品と作者たちはオタク文化に対し、未だに影響を与え続いてる、と言っていいでしょう(余談だが貞本さんはその前に少年チャンピオンで漫画賞を受賞、何本か作品が掲載された後、消えてしまっていた。当時中学生だった筆者は世の中にこれほどの絵を描く人間が居るのか、と衝撃を受けるのと同時にそのまま消えてしまった事に驚いた。エヴァンゲリオンのキャラデザインの人と同一人物と知るのは、その後20年近く経ってから。当時は人気漫画の絵に寄せていたので、大分作風が違うが、既にその空間&立体把握能力は桁外れで、これは持って生まれたものが違いすぎると思った)。 以上、脱線でした。 結構、時代ごとの絵柄を忠実に再現しており、それなりの絵描きさんが仕事を担当してるのが伺えます。 ちなみにサイボーグ009におけるお話の骨格、悪の組織に誘拐され、改造人間された主人公がその組織を抜けて敵となる、という話の展開は以降の石森作品の定番となる…というか、そればかりですね(笑)。そういった面もありまして、個人的には好きな漫画家では全くない、というのが正直な所。日本の漫画の発展に与えた影響は疑うべきものが無いのですが。 ついでに手塚治虫さんに対しても、個人的には全く同じ感想を持っております。 走り去る石ノ森章太郎電車。こっち側は仮面ライダーでした。サイボーグ009とスパイダーマン(当時、すでに池上遼一版の連載が始まっていた)、そして月光仮面を混ぜて3分ほど煮るとこれになります。 なかなか面白いものを見れた、と思っていたら、この電車がそのまま折り返してきて、私も乗ることになるのでした。単線のローカル線なんだから、そりゃそうだね、と思う。 |