建物はちょっとした丘の上にあり、眺めは良さそうです。 中は18畳二間となっていますが、この時代の建物に畳があったのか、あったとしても畳の大きさは異なったはずで、どうも後世の改造が入ってる気も。あるいは畳を専用サイズで造ってる? 建物は質実剛健で、なるほど江戸期以前(少なくとも家光世代以前)の建築っぽいなと思う。 いい感じですが、思ったより実用的な造りでおそらく城内のなにか役場的な施設だったんじゃないかなあ、と思う。ついでに最初にも書きましたが、伏見城からの移築だとしても、秀吉時代のモノではなく、徳川家が建て、のちに家光の代で廃城とした三代目伏見城のものでしょう。現地の解説板では伏見桃山城とされており、これがキチンと根拠のある記述なら、桃山の名が付くのは徳川時代ですしね。 ちなみに廃城の際に、まだ新しい建物を取り壊して破棄するのはもったいないと思ったようで、この城の遺構、あちこちに残ってます。 奥は入室禁止ですが、キンキラ金の装飾部屋で、これは現地に移築された後のものです。 あまり趣味がいいとは思えないのですが、まともな照明の無い時代の金箔は部屋を少しでも明るくするための工夫の一つでもあったハズ。 頼んでいたお茶とズンダ餅が出て来る。最近、こういったサービスをする観光施設が増えてますけど、いい感じですな。 そこからの眺め。窓の外には観光遊覧船艦隊が船体を休めており、すでに出港中のものも何隻か。実際、ここ浚渫すればいい軍港になると思うんですけど、伊達家時代から明治以降まで、そういった話が出たことは無いようです。 |